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犯罪被害者の刑事手続き関与について(まとめ)

犯罪被害者の刑事手続き関与に関する山口の私見を整理してみました。

犯罪被害者の刑事手続き関与に関する議論は、以下の2点に纏めることが出来ます。
(1)権利の主体(誰に権利を認めるか)
(2)権利の内容(どのような権利を認めるか)

ところが、例えば、「全国犯罪被害者の会」の代表幹事である岡村勲弁護士の議論を見ても、(2)権利の内容については、色々と議論を展開されていますが、(1)権利の主体については、殆ど言及されていません。

少年犯罪被害当事者の会
被害者支援を創る会
などの主張を見ても、(1)権利の主体に関する議論がなされていません。

冷たい議論かも知れませんが、「犯罪被害者と主張する者が真に被害者であるかどうか」は、決して自明の真実ではなく、裁判の過程を通じて確定されるべき事実です。

例えば、正当防衛を争う事案などの場合には、判決の結果、「被害者」の筈が「加害者」として認定される可能性もあるのです。

権利の付与の対象となるべき、「犯罪被害者」をどのように確定するのかという点について、議論を深める必要があると思います。

山口の提案は、「犯罪被害者問題について」に書かれていますが、刑事裁判の事実審と量刑審理の手続きを分離し、後者について被害者の関与を検討すべきというものです。

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都国籍条項訴訟 管理職受験拒否は合憲 最高裁が逆転判決

本年1月26日、最高裁大法廷(裁判長・町田顕長官)は、日本国籍がないことを理由に東京都の管理職試験の受験を拒否された韓国籍の都職員女性が、都に200万円の賠償などを求めた国籍条項訴訟について、 「受験拒否は法の下の平等を定めた憲法に反しない」と初判断を示し、都に人事政策上の幅広い裁量権を認めました。そのうえで、都に40万円の賠償を命じた東京高裁判決(97年11月)を破棄し、原告の請求を棄却する逆転判決を言い渡し、その結果、原告の敗訴が確定しました。

公務員が国民主権の問題と直結する以上、日本人と在日外国人を全く同一に扱うことは出来ないという点自体に異論はありません。国家ないし地方自治体の政策形成に関与し、あるいは、警察官など直接的に権力を行使する職種について、国籍を要件とすることは少なくとも現時点では合理的です。

しかしながら、この国は、少なくとも建前の上では、自由と平等の国の筈です。自由と平等に対する一定の制限は必要であるとしても、それを「必要最小限度」に留めるという視点は不可欠だと思います。
実際、多くの地方自治体では、いわゆる川崎方式が既に多くの自治体で採用されており、別段問題や不都合は発生してはいないのです。

平成9年11月26日の東京高等裁判所判決は、
「職務の内容、権限と統治作用との関わり方及びその程度によって、外国人を任用することが許されない管理職とそれが許される管理職とを分別して考える必要がある。そして、後者の管理職については、我が国に在住する外国人をこれに任用することは、さきに公務員就任について検討したところと同様、国民主権の原理に反するものではなく、したがって、憲法第二二条第一項、第一四条第一項の規定による保障が及ぶものと解するのが相当である。」と補佐的・補助的・学術的・技術的な職については、外国人が任用を求める権利が憲法上保障されると
いう明確な司法判断を示しています。

それは、川崎方式のような現実の運用を踏まえた上での判断だと思いますが、最高裁判所は、「国民主権」という言葉をまるで「魔法の呪文」のように唱えて、任用の可否の判断をすべて行政の裁量に丸投げしてしまいました。
唯一の救いは、判決が裁判官15人の全員一致ではなく、弁護士出身の滝井繁男、裁判官出身の泉徳治の両裁判官が「法の下の平等に反し違憲であり、都に賠償を命じた2審は相当」などと反対意見を述べた点です。

少子高齢化がグローバリゼーションが進む中、外国人を社会の担い手として積極的に迎え入れなければこの国が早晩やって行けなくなるのは明らかですが、司法の最高機関が外国人に対する差別を広範に認める国で、誰が働きたくなるでしょうか?
今回の判決は、国益に反します。最高裁判事の方々の平均年齢は高いようですが、「自分達が生きている間は外国人を受け入れなくても大丈夫」と考えたのでしょうか?「公務員=自国民に限定すべき」というドグマを維持したいが故に、重いツケを未来の世代に回したのであれば、その責任はあまりにも重大であると思います。

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ヤミ金元幹部に懲役5年判決、13億円追徴は認めず

指定暴力団山口組旧五菱会系のヤミ金融グループによるマネー・ロンダリング(資金洗浄)事件で、組織犯罪処罰法違反(犯罪収益隠匿)などの罪に問われた同グループ元幹部・松崎敏和被告(35)の判決が1月26日にあり、東京地方裁判所(飯田喜信裁判長)は懲役5年、罰金2000万円を言い渡したが、検察側が求刑した追徴金13億2600万円については、「国が追徴することで、被害者が民事手続きで被害回復を図るのを妨げるべきではない」として認めなかった。

おそらく、組織犯罪処罰法16条1項但し書き「当該財産が犯罪被害財産であるときは、この限りでない。 」という条文を適用したものと思われますが、そもそも検察官が追徴を求刑したこと自体に疑問を感じます。
いわゆる消費者被害の事案においては、加害者が破産した場合などに、国が税金や社会保険料をごっそりもっていってしまい、被害者に配当が行き渡らないという事態がしばしばあります。
そもそも、消費者被害が蔓延した背景には、警察や行政の対応が後手後手に回ったという事情がしばしば見られますから、いわば、被害の拡大に消極的に関与した公権力が優先的に弁済を受けられるというのは、(?)な結論です。
直接的な被害者のいない、麻薬取引の利益のような場合にはともかく、検察官も被害者が被害回復のための訴訟などを準備していることは当然に知っていた筈ですから、追徴を求刑するべきではなかったと思います。


なお、オウム真理教事件の場合には、
平成10年4月24日成立の「オウム真理教に係る破産手続きにおける国の債権に関する特例に関する法律」及び同様の各自治体の条令により税金等債権が損害賠償請求権に劣後することとなっていますが、これはあくまでも特別法による例外的な取り扱いです。

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ネット有害情報を阻止 都が青少年条例改正へ

青少年(18歳未満)をインターネットの有害情報から守るため、プロバイダはフィルタリングサービスを提供し、保護者はそれを子供に利用させる努力義務規定を条例化するよう、東京都青少年問題協議会が本年1月24日、石原慎太郎知事に答申したらしい。東京都は、本年2月下旬に開会する定例都議会に都青少年健全育成条例改正案を提出し、成立後は携帯電話会社を含む都内のプロバイダー協力を求める方針だ。この条例が成立すれば、フィルタリング導入を保護者にも求める条例規定は全国で初めて成立することになる。

まず、一言で言わせて貰えば、
「メディアが青少年の非行ないし逸脱行為を誘発する」というこれまでの長年の研究にもかかわらず、学問的には実証されていない前提で議論を進めている点が問題です。
例えるならば、犯人を捕まえる議論を色々としている一方で、その犯人が真犯人であるかどうかの検討を欠いている答申です。中世における魔女狩りと同様にインターネットという新しいメディアをスケープゴートにしているだけです。
全く評価に値しません。

東京都では、性教育でさえ、性行動を助長すると言われ非難されたという経緯があります。このような条例を制定すれば、多様な角度からの青少年の性に関するコミュニケーションが困難になり、青少年が性に関するリテラシーを公の議論を通じて形成することが困難になります。一方で、行政や教育機関が提供することができる情報もこの条例により、枠を嵌められます。
情報統制により、性に関する情報を統制しても性に関する意識の変容を止めることが出来ないのは、歴史が示しています。そうなると、行政や教育機関の提供する情報は時代遅れになり、誰も相手にしなくなる一方で、検証課程を経ない情報が一人歩きすることになり、さらに、青少年がその様な情報を批判的に検討する力も持たずに、悪い大人に食い物にされるという最悪の事態になるでしょう。

山口のTBS「ニュースの森」におけるコメント)本年1月24日放映!
しかし、法律家としては、憲法論について話をした部分を放映して欲しかった・・・。

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テレビ朝日さん、もう少し勉強しませんか?

Today's ムーブ!

<小林薫 再逮捕>
第2、第3の犯罪を防ぐために児童買春・児童ポルノ禁止法が施行されているが、アニメや漫画は対象外となっているため、これらも規制していかなければならない状況になってきている。

反論、ツッコミについては、下記をご参照のこと。
カスパル代表 近藤美津枝氏の発言から表現の自由を考える①
カスパル代表 近藤美津枝氏の発言から表現の自由を考える②
大谷昭宏さん、いくら大きくてもファールでは得点にはなりませんぜ

(1930年代、ナチスが力を持ちつつあった時代に流行したジョーク)

(ナチス党員) やい、ユダ公。ドイツが不景気で失業者だらけなのは誰のせいか言って見ろ。
(ユダヤ人)   はい、ユダヤ人とプレッツェル屋のせいです。
(ナチス党員) ふざけるな!何故、プレッツェル屋のせいなんだ?
(ユダヤ人)   では、何故、ユダヤ人のせいなんですか?

(21世紀に日本で流行するであろうジョーク)
(テレビ朝日) やいオタク野郎。何故、日本で少女が被害者となる犯罪が多発するのか言って見ろ!
(オタク)    はい、アニメ、マンガ、フィギュア、そして、虎屋の羊羹のせいです。
(テレビ朝日) ふざけるな!何故、虎屋の羊羹のせいなんだ。
(オタク)    では、何故、アニメ、マンガ、フィギュアのせいなんですか。

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大谷昭宏さん、いくら大きくてもファールでは得点にはなりませんぜ

またまた大谷昭弘氏がやってくれました。

できることからコツコツと」において、同氏は、メーガン法など性犯罪者に関する個人情報を住民に通知する制度はわが国の風土にそぐわない、などと主張しつつ、「とりあえず、出来ること」として、
「私が再々主張しているように児童虐待、少女性愛者の異常に加虐的なフィギュア、アニメ、コミック、ビデオなどの制作、流布、販売者の検挙、取り締まり。まずそのことを実行して、野放しだ、という世界からの強い批判に応える。それは数か月を置かずに実施できるはずである。」
とのたもうておられます。

この点について、小倉秀夫弁護士は、「大谷昭宏氏の「努力」と皇帝ネロの「努力」において、非常に端的に、「しかし、そのような犯罪が行われる原因を正しく認識しないで提案される防止策は、不適当であり、かつ、しばしば有害です。」と述べておられます。

私も小倉弁護士の見解に全面的に賛成します。
ただ、小倉弁護士は、大谷氏について性善説に立っておられるようですが、山口の見解は少し違います。

フィギュア、アニメ、コミック、ビデオの取り締まりの結果、性犯罪が激減し、検挙率の低下を問題にするまでもなくなればいいのですが、フィギュア、アニメ、コミック、ビデオなどが性犯罪を誘発するという根拠はどこにもありません。詳しくは、「カスパル代表 近藤美津枝氏の発言から表現の自由を考える②」をご参照ください。

「決め付け」あるいは「思い込み」に基づく「対策案」(と大谷氏が信じておいでになるもの)は無限に、大谷昭弘氏の脳みそから沸いてくるのかも知れませんが、人的、物的な資源、予算は違います。
フィギュア、アニメ、コミック、ビデオの取り締まりを行えば、今回の事件に容疑者のような凶悪な性犯罪者の検挙に向けられる警察が人手と予算が減少することは当然で、性犯罪の検挙率は低下するでしょう。そのことは、さらなる被害者の発生を意味しますが、大谷昭弘氏はそのことを分かった上であえて発言しているとしか私には思えないのです。

だって、大谷昭弘さんは、週刊現代 2004年7月3日号「小6殺人の原因探しにメディアが行きついた先」において、
はっきりと、
なんだかメディアは意味のない“犯人探し”をしているように思えてならない。
そこでメディアが一斉にとびついたのが少女を取り巻く社会環境、とりわけインターネットの社会だ。
しかしそのことが即、殺人にまでつながるのか。・・・(中略)・・・もしネットが事件の原因だとするなら、同種事件は頻発していなければおかしい。・・・(中略)・・・たしかに11歳少女にこの映画は刺激的かも知れない。しかし小説の方だって少年少女の間ではベストセラーになっている。だとすれば先程の理屈と一緒で、映画や小説に触発されて類似事件が続発しているはずだ。

こうしたメディアの強引な〝犯人探し〟はむしろ滑稽に見えてくる。

とまではっきりと述べておられるのですから。

最後に、1930年代、ナチスが力を持ちつつあった時代に流行したジョークを一つ。

(ナチス党員) やい、ユダ公。ドイツが不景気で失業者だらけなのは誰のせいか言って見ろ。
(ユダヤ人)   はい、ユダヤ人とプレッツェル屋のせいです。
(ナチス党員) ふざけるな!何故、プレッツェル屋のせいなんだ?
(ユダヤ人)   では、何故、ユダヤ人のせいなんですか?

ちゃん、ちゃん。

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世界に不自由を輸出した張本人からそんなことを言われてもねえ

「全世界に自由を拡大」 米大統領、就任演説の抜粋公表

ブッシュ大統領は、その就任演説において、「世界平和という最良の願いは、全世界に自由を拡大することによってかなえられる」と述べ、テロ抑止のための自由の普及を2期目の政権の最重要課題と宣言することが1月19日に分かったらしい。

愛国者法を作って令状主義を骨抜きにしたり、
グアンタナモ基地に収容するテロ容疑者をジュネーブ条約で保護される戦争捕虜でなく、条約適用外の「敵性戦闘員」とみなし、弁護士接見等の権利を認めず無期限に拘束することを正当化し、大勢の人間を拉致監禁したりしている人に言われたくは無いわな。
「拉致被害者」の数だけでは北朝鮮以上かも?

「本国」でそういう動きをすると、51番目の州の小泉州知事閣下もすぐに真似したがるから、本当に困るんだよね。

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「ドラゴンクエストⅧ完全攻略データ集」を見つけた!

スクウェアエニックス社が、昨年12月24日付で、「ドラゴンクエスト」という言葉を書籍で使用することが商標権侵害、不正競争行為に該当すると主張し、鉄人社が発行する「ドラゴンクエストⅧ完全攻略データ集」について東京地裁に対し、出版禁止の仮処分を申し立てたという事件があったことをご存知の方も多いと思う。

昨年末から、私も問題の書籍を何軒かの書店で探しては見たが、店頭には見当たらなかった。ひょっとして、早くも差し止めの決定が出てしまったのではないかと懸念していた。

懸念の理由は、スクウェアエニックス社の主張があまりにも横暴としかいい様がないものだったからだ。スクウェアエニックスの主張の問題点については、紀藤正樹弁護士のブログ、小倉秀夫弁護士の見解、鉄人社の声明に詳しく書かれていますが、山口も両名の見解に全面的に賛成します。

ところが、今日、たまたま、書店に行ったら、何と「ドラゴンクエストⅧ完全攻略データ集」山積みになっているではないか!本が店頭に並んでいないのは、単に「売り切れた」ためであったようです。
よかった~。

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犯罪被害者問題について

最近、犯罪被害者の権利が注目を集めている。

刑事裁判への被害者参加の拡充についての議論も盛んである。

これまでに不十分な議論しかなされていなかった犯罪被害者の刑事裁判への関与について議論がなされるようになったのは結構であるが、「被疑者」、「被告人」の権利に比べて保障が不十分であるという文脈で議論がなされることには大いに疑問がある。

「被疑者」、「被告人」は、現実に犯罪の嫌疑をかけられ、あるいは、裁判にかけられている者であり、権利が保障されるべき「被疑者」、「被告人」が誰であるかについて疑問の余地は無い。

しかしながら、犯罪被害者は違う。「犯罪被害者」とは、あくまでも「犯罪に遭った」と主張している者に過ぎない。
その者が真に被害者かどうかは、裁判の結果確定されるものであり、「犯罪被害者」を「被害者」として扱うことそれ自体が、「被疑者」、「被告人」が有罪であることを前提とする、一種の偏向した態度とも言える。

現在の議論の問題点は、誰が権利を保障されるべき「犯罪被害者」なのかを確定する方法について全く議論がなされておらず、「犯罪被害に遭った」と主張しさえすれば、「犯罪被害者」としての権利を保護されてしまうことについての問題意識がないこと、ひいては、「刑事訴追をされた者は有罪」という悪しき推定の元に制度設計がなされようとしていることだ。

事案によっては、例えば、自殺か他殺かが問題となる場合、交通事故における過失の有無を争う場合のように、そもそも犯罪があったと言えるかどうかが争われる事案もある。この場合、遺族が被害者としての立場から意見陳述をしたり、被告人に質問したりする権利を認めることは妥当であろうか。
あるいは、正当防衛の成否が争われる事案においては、裁判の結果次第においては、「被害者」の筈が「加害者」として認定される可能性すらあるのだ。

思うに、被害者が刑事手続きに参加することを認める前提としては、刑事裁判を有罪、無罪を決める事実審の段階と量刑を決める量刑審の段階に分けることが必要ではなかろうか。被害者の権利は、被告人の有罪、無罪について一応(上訴で結論が変わる可能性は常にある)の結論が出た後、量刑審理の段階において初めて認めるようにしなければ、「無罪推定」の原則とは相容れないであろう。

したがって、事実審と量刑審の段階を区別しない現行の刑事訴訟制度を維持するのであれば、少なくとも被告人が公訴事実を争う事案においては、何らかの形で被害者の訴訟参加を制限する制度を導入することが必要である。さもなくば、「無罪推定の原則」が画餅と化する危険性がある。

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「合格率低いと悪影響」 新司法試験で意見聴取

法務省の司法試験委員会は、新司法試験の合格率などについて、1月18日、法科大学院関係者からのヒアリングを実施したところ、
 「新試験の合格率が低ければ、学生は試験中心の勉強に陥り、多様な法曹を養成する教育課程に悪影響が出る」
 との意見が出たらしい。

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050118-00000032-mai-soci


 正直な話、高額の学費を払える学生以外に法曹となる道を半ば閉ざしておいて、「多様」も何もないと思う。
 法科大学院関係者のいう「多様」性とは、高額な学費を払える裕福な親を持つ「坊ちゃま」「お嬢ちゃま」の中における多様性に過ぎない。
 法科大学院側の本音は、制度自体が未確定のうちに、「合格率は70-80%」などと説明をして集めた学生やその親からクレームを付けられることへの懸念だろう。弁護士になれると思って、高い学費を払ったのに、「法務博士」という「法学博士」のパチモノのような学位だけを与えられて世間に放り出されたら、親が怒るのは当然かもしれない。
 法科大学院側は、「資格商法」のような真似をやめ、説明責任を果たすのが先ではなかろうか。

 ちなみに、同ヒアリングにおいて、北海道大大学院法学研究科の瀬川信久教授は「合格率が低くなると、試験の合格に関心が向かい法科大学院生の学習態度に悪影響が出る」
と新試験合格者数の拡大を求めたらしいが、

 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050118-00000035-kyodo-soci

 「試験中心の勉強」批判に果たして合理的な根拠はあるのだろうか?
 「試験中心の勉強」批判の大前提としては、これまでの司法試験の問題が試験対策さえすれば受かるものであったということが必要になる。
 しかしながら、個人的な経験ではあるが、司法試験の問題は、単なる詰め込みの暗記勉強だけではとても解けない「良問」が多かったような気がする。受験生時代に過去の試験問題を解きながら、さすが、日本を代表する一流の学者と実務家が出題していると思ったことも度々あった。
 また、基本的な知識を定着させる契機として、試験勉強は非常に重要だと思う。
 弁護士生活4年目になって思うことは、いわゆる一般民事を扱う弁護士にとって、司法試験の受験勉強のための「詰め込み」勉強の成果は日々の実務で非常に役立っているということだ。
 法律相談をするためには、依頼者の話を聞いた瞬間に少なくとも、関係する法律が何であるか、法律上の争点が何であるかくらいは瞬時に予想出来ないと役に立たないが、そうなるためには、民法などの基礎的な法律の知識については、それこそ「寝言でも言える」くらい覚える必要がある。
 果たして、「詰め込み」の受験勉強抜きでそのような知識は身につくのであろうか。

 目の前で右往左往する弁護士を見て一番迷惑を被るのは依頼者である。

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カスパル代表 近藤美津枝氏の発言から表現の自由を考える②

児童ポルノ法の改正に際し、「アニメ」や「マンガ」をも規制対象にすべかという論点を巡り、この点については相当つっこんだ議論がなされているのですが、新たに規制の必要性を主張している割には、これまでの議論について相当無知なようです。
近藤氏の主張は新しいものではなく、これまでにも何度となく主張されてきては、その都度論破されている、非常に「古臭い」主張です。

特に、気になるのは、規制の根拠として、「(「アニメや漫画の少女に基本的人権があるのでしょうか?」という問いに答えて)絵で描かれていても、少女たちの人権を侵していることには違いありません。)」と臆面も恥ずかしげもなく、「2次元キャラクター人権享有主体説」を開陳しておられることです。

この点に関する私の反論と主張については、私が理事を務めるNGO団体AMIが、2003年6月23日に発表した「『児童買春児童ポルノ禁止法』改正への要望書」をご参照頂きたいと思います。おそらく、この問題に関しては最も整理されている文章の一つではないかと自負しております。

特に、「2次元キャラクター人権享有主体説」については、要望書の中において、わざわざ「2 「フィクション」と「実在児童への虐待」の区別」という独立項目まで設けており、また、「5 私たちからの提案」においても反論を行っています。

ちなみに、近藤さんと同じ団体にご所属の「佐伯有美」さんは、その「鼻炎と夫婦仲に悩む さいきゆみ どじ日記2」において、
「ギャルゲの少女を陵辱しているのは、少女の人権を無視した行為だというのに、キャラクターに人権はないと言うてきた。こういうのをお宅の詭弁っていうねん。…(中略)…あなたがそういうメールしているのが全世界の笑いものになっている事実を認識されては?本名も名乗らないで 偉そうに物を言い、陰で悪口言い合っているのなら、あなたも本名であなたの考えを新聞に投稿されては?正々堂々とあなたの考えをテレビで顔を出して言ってみてください…(中略)…)それしたら、ちーとは話をする気にもなるぞ。」

とお書きになっており、どうしても、規制反対派の主張を表立って堂々と主張は出来ない代物であると決め付けたいようですが、実際には、NGO団体AMIは、Web上に堂々と意見書を公表し、また、国会議員の先生方などにも意見書の送付を行っています。
さらに言えば、AMIは、2001年12月18日に開催された「第二回・子どもの性的商業的搾取に反対する世界会議」(以下、横浜世界会議)において、「漫画はCSEC(子どもの性的商業的搾取)ではない」というワークショップを行い、多くの参加者から賛同を得ています。
私自身も、雑誌や新聞などのメディアにおいて、弁護士として同様の発言を繰り返しています。

佐伯有美氏がそのような発言をされること自体、一連の議論の流れについてあまりにも「無知」であることの証左であると思います。

他にも近藤氏の主張には問題点があります。例えば、近藤氏は、
「私たちは5、6年前から資料集めに取り組んできましたが、いわゆる『美少女アダルトアニメ雑誌』や『美少女アダルトアニメシミュレーションゲーム』は、それはひどい。大人の男性が幼い少女を操って、性欲を満たす奴隷に仕上げていくような内容が多くて、ランドセルを背負うなど具体的なイメージで小学生の少女を描いてある。それがコンビニなどで売られ、子どもでも見たり、買ったりできる。こうして育った青少年は人間性を失い、女性を物としか見なくなる。最近の相次ぐ事件を見ても、少女にとってすごく危険な社会になってしまったことが分かります」

と自信たっぷりに発言されておりますが、実際には、少年による性犯罪(=強姦又は強制わいせつ(いずれも致死傷罪を含む。)と定義します)の動向についてみると、検察庁における少年による性犯罪被疑事件の受理人員の合計は、昭和49年まで2000人を超えていましたが、その後は減少傾向が続き、昭和55年に1571人、平成2年に743人まで減少して以降は、570人から840人までの間で増減を繰り返して、平成14年には568人となっています(数値は各年度版犯罪白書に引用されている検察統計年報によります)。
アダルトアニメやゲームの普及についてのデータはありませんが、アダルトアニメやゲームの普及と性犯罪発生率の相関をとったら、明らかに負の相関がありそうです。なんでもアダルトアニメやゲームは青少年に対して、大きな影響があるそうですが、アダルトアニメやゲームが性犯罪の発生に影響を与えるという論理を真とすれば、アダルトアニメやゲームの普及は、むしろ性犯罪の発生を抑止する、という結論以外は導き出せそうにありません。

ちなみに、2003年11月4日の(東京都)青少年育成問題協議会の席上において、渡邉晃氏(警視庁前生活安全部長)は「それ(不健全図書のこと)が原因で直接犯罪を敢行したという数字はでていない」「性情報の氾濫と青少年の性犯罪の増加について因果関係を学術的に証明したケースはない」との答弁をしておられた筈です(傍聴人からの伝聞)。

 僕にいわせれば、近藤氏や佐伯氏に代表されるような、「アニメ・ゲーム=児童の人権侵害論者」は、本当に児童の人権のことを考えていると発言する資格はないと思います。資源も時間も有限です。客観的なデータに基づく事実分析をしない限り、効率的かつ効果的な児童の救済が出来る筈はないからです。
 分かりやすい「敵」について根拠の薄い感情的な発言を連呼して、児童の人権救済に貢献したつもりになっている、「アニメ・ゲーム=児童の人権侵害論者」は、精神的な自慰行為をしていると言っても過言ではないと思います。
 あるいは、子どもをダシにして自分の嫌いなものに「悪」のレッテルを貼ろうとしていると言われてもしかたがないと思います。

ご参考までに↓


(今回のオタクバッシングに関する総合的なサイト)
http://www.geocities.jp/houdou_higai/

(僕が理事を務めるNGO連絡網AMIのサイト)
→大谷昭宏氏に公開質問状を送りました!
http://www.picnic.to/~ami/

弁護士 山口 貴士@東京弁護士会

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カスパル代表 近藤美津枝氏の発言から表現の自由を考える①

大谷昭弘氏の奈良少女誘拐殺人事件に関する「オタク犯人呼ばわり発言」問題

http://homepage2.nifty.com/otani-office/nikkan/n050104.html
http://homepage2.nifty.com/otani-office/nikkan/n041123.html

が少し、沈静化に向かったかと思いきや、今度は、NPO法人「カスパル」の近藤美津枝氏が「少女をイラストで描いたポルノ雑誌やアダルトゲームソフトの製造、販売の法的規制が必要だ。」と大声で主張をし始めています。

(記事の全文)
http://mytown.asahi.com/osaka/news01.asp?kiji=1108

極めて憂慮すべき状況だと考えますので、僕のBlogの初書き込みとします。

まず、最初に山口の立場をはっきりしておきますが、私は、特定個人の具体的な権利ないし利益を侵害しない限り、表現の自由を制約することは許されないと考えています。

したがいまして、いわゆる「ポルノグラフィー」については勿論、いわゆる「差別的な表現」ないし「ヘイトスピーチ」についても特定の個人に向けられたものではない限り、規制することについては、反対します。

なお、いわゆる「児童ポルノ」については、実在の児童を被写体とした実写ポルノについては、当該児童の性的な自己決定権などの権利を侵害するため、取り締まりもやむを得ないと考えていますが、アニメ、マンガ、文字表現などによる性表現については、例え、児童との性行為をテーマとしたものについても、規制を及ぼすことには否定的な立場を取っています。

その理由は、ぎりぎり煮詰めれば、以下の3つに纏められます。

(1)表現を抹殺したところで現実はなくなりません。性表現や差別的な表現などがこの社会において流通しているということそれ自体が、消すことも変えることもできない現実です。表現行為を抹殺することは、後世の人々が、その時代について、評価することを妨げる行為であり、歴史を捏造することに他なりません。

(2)そもそも表現規制を主張する者達が特定の表現物の廃棄を要求するのは、それに接する機会を得られたからです。表現に接することが出来なければ、批判すべきかどうか、判断できないはずであり、自分では読んだものを、他人には読ませないよう要求するのは、公正さを欠く態度であると言わざるを得ません。

(3)表現規制を主張するということは、「極めて傲慢」あるいは「選民的」な姿勢であると思います。
   それは、以下の2つの理由によります。

 ア 当の表現に接しなければ、表現の内容についての判断はできないし、表現規制を主張する者達の主張も検証できないからです。表現規制を主張する者達は、「自らの主張は絶対に正しいのであるから、検証不能である」と宣言しているのであり、そこには、謙虚さのかけらも見当たりません。特に規制の主体が権力である場合には、「権力に対する市民のチェック」という民主制の根本原理が奪われることになり、立憲民主主義の基本に反します。

 イ 表現の受け止め方、評価の仕方は、人それぞれの筈です。それを批判的、あるいは、比喩的に受け止め、評価することも出来るのです。しかしながら、表現規制を主張する者達は、自分達以外の表現受容者は、出版社や著者の意図どおりに、あるいは、自分達が受け止めるとおりに、表現行為を受け止めるであろうと決め付けています。
   ある表現をどう受け止めるかは、各個人の自由に任されるべきであり、権力あるいはそれ以外の者が代わって判断することは出来ない筈です。

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