カスパル代表 近藤美津枝氏の発言から表現の自由を考える①
大谷昭弘氏の奈良少女誘拐殺人事件に関する「オタク犯人呼ばわり発言」問題
http://homepage2.nifty.com/otani-office/nikkan/n050104.html
http://homepage2.nifty.com/otani-office/nikkan/n041123.html
が少し、沈静化に向かったかと思いきや、今度は、NPO法人「カスパル」の近藤美津枝氏が「少女をイラストで描いたポルノ雑誌やアダルトゲームソフトの製造、販売の法的規制が必要だ。」と大声で主張をし始めています。
(記事の全文)
http://mytown.asahi.com/osaka/news01.asp?kiji=1108
極めて憂慮すべき状況だと考えますので、僕のBlogの初書き込みとします。
まず、最初に山口の立場をはっきりしておきますが、私は、特定個人の具体的な権利ないし利益を侵害しない限り、表現の自由を制約することは許されないと考えています。
したがいまして、いわゆる「ポルノグラフィー」については勿論、いわゆる「差別的な表現」ないし「ヘイトスピーチ」についても特定の個人に向けられたものではない限り、規制することについては、反対します。
なお、いわゆる「児童ポルノ」については、実在の児童を被写体とした実写ポルノについては、当該児童の性的な自己決定権などの権利を侵害するため、取り締まりもやむを得ないと考えていますが、アニメ、マンガ、文字表現などによる性表現については、例え、児童との性行為をテーマとしたものについても、規制を及ぼすことには否定的な立場を取っています。
その理由は、ぎりぎり煮詰めれば、以下の3つに纏められます。
(1)表現を抹殺したところで現実はなくなりません。性表現や差別的な表現などがこの社会において流通しているということそれ自体が、消すことも変えることもできない現実です。表現行為を抹殺することは、後世の人々が、その時代について、評価することを妨げる行為であり、歴史を捏造することに他なりません。
(2)そもそも表現規制を主張する者達が特定の表現物の廃棄を要求するのは、それに接する機会を得られたからです。表現に接することが出来なければ、批判すべきかどうか、判断できないはずであり、自分では読んだものを、他人には読ませないよう要求するのは、公正さを欠く態度であると言わざるを得ません。
(3)表現規制を主張するということは、「極めて傲慢」あるいは「選民的」な姿勢であると思います。
それは、以下の2つの理由によります。
ア 当の表現に接しなければ、表現の内容についての判断はできないし、表現規制を主張する者達の主張も検証できないからです。表現規制を主張する者達は、「自らの主張は絶対に正しいのであるから、検証不能である」と宣言しているのであり、そこには、謙虚さのかけらも見当たりません。特に規制の主体が権力である場合には、「権力に対する市民のチェック」という民主制の根本原理が奪われることになり、立憲民主主義の基本に反します。
イ 表現の受け止め方、評価の仕方は、人それぞれの筈です。それを批判的、あるいは、比喩的に受け止め、評価することも出来るのです。しかしながら、表現規制を主張する者達は、自分達以外の表現受容者は、出版社や著者の意図どおりに、あるいは、自分達が受け止めるとおりに、表現行為を受け止めるであろうと決め付けています。
ある表現をどう受け止めるかは、各個人の自由に任されるべきであり、権力あるいはそれ以外の者が代わって判断することは出来ない筈です。
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Tracked on January 18, 2005 at 09:26 AM

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