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自民党憲法改正草案と「牛丼」「カレー」論争①

自民党新憲法起草委員会の「国民の権利及び義務小委員会」(小委員長=船田元・元経企庁長官)がまとめた憲法改正の論点メモの内容が分かりました。

(権利を制約するもの)
信教の自由(20条):「政教分離原則を守りつつ、国や地方自治体の地鎮祭関与や玉ぐし料支出については、社会的儀礼や習俗的行事の範囲内であるとして、許容する」と明記しています。

表現の自由(21条) :については「青少年の健全育成に悪影響を与える可能性のある有害情報や図書の出版・販売は法律で制限・禁止できる」としています。結社の自由(同)についても「国家や社会秩序を著しく害する目的で作られる結社は、制限できる」としています。

財産権の制限(29条):目的に「良好な環境の保護」を加えるそうです。

(権利を追加するもの)
「知る権利(情報アクセス権)」
「個人のプライバシーを守る権利」
「犯罪被害者の権利」
「環境権」
「外国人の権利」(「在日外国人の地方参政権にも道を開くべきか」として、外国人参政権問題が論点になると付記)
「知的財産権」
「企業その他の経済活動の自由」

(「責務」を追加するもの)
「国防の責務」
「社会的費用を負担する責務」
「家庭を保護する責務」
「環境を守る責務」
「生命倫理を尊重する責務」

それを見た結果、分かったことは、自民党新憲法起草委員会の「国民の権利及び義務小委員会」の先生方は、「憲法」がどういうものか全く分かってらっしゃらない、ということです。

(問題点)
 憲法が、単なる「法律」(=国会制定法)に効力上優越する上位規範に過ぎないという前提となっています。
 「法律」以下、「命令」「条例」などの下位法規範はいずれも「国民」を名宛人とするものですが、「憲法」は「国家権力」を名宛人とする法規範であるという点で、全く性質が異なるものであるという点を理解されていません。

 現代の民主主義国家においては、「国家権力」を行使する政府は選挙を基礎として選出されるため、国民の中における多数派が国家権力行使の主体となります。憲法が、国家権力を名宛人とする法規範である以上、憲法は、多数派による権力行使に歯止めをかけ、多数決の原理を持ってしても犯しえない基本的な権利(=人権)を規定する法規範として機能しなくてはなりませんが、自民党案は、人権の内容について法律(=多数決)で制約を加えることを広く承認する一方で、国民の責務(≒義務)を認めるものになっています。

(質問)
多数決は民主主義の基本ではないのですか?何故、多数決の原理を制約することが必要なのでしょうか?

(回答)
 多数決の原理を持ってしても侵害し得ない権利を保証することは国家が安定的に存立する上で必要不可欠だからです。
 何故ならば、国民の持つ価値観は絶えず変化しており、今日の多数派が明日の多数派であるとは限らないからであり、また、人間は試行錯誤を繰り返す存在であり、多数派の意見が常に正しいとは言えないことを素直に認めて国家の制度設計をしなくてはならないからです。

 仮に、多数決の原理を無制限のものとしてしまうと、多数派は、少数派が多数決を通じて多数派となる機会を奪うことが可能となります。結果、多数派は、自らの持つ価値観を少なくとも法規範ないし制度の上では、永久的なものとすることが可能となります。
 その場合、国民の意識が変化し、従来の少数意見が多数意見となった場合においても、選挙により多数意見を権力に反映することは不可能となり、合法的な手段による法制度の変更が不可能となり、国家の基盤は揺らぐことに繋がりかねません。
 また、多数派の意見が間違っていた場合にも、合法的な手段による是正が不可能となり、やはり国家の行く末が不安定となることが避けられなくなります。

 したがって、憲法改正を議論する際には、憲法が国家権力を名宛人とする法規範であり、多数派による権力行使に歯止めをかける法規範であることを忘れてはならないのですが、自民党案には、その点に考えを巡らせた形跡すら殆どありません。

 「牛丼」「カレー」論争 の意味については、次回に書くことにします。お楽しみに。

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Comments

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20050204/p1
(現代中国においては)憲法は依然として既存の権力保持者(=共産党)の利益のために現状の権力関係を凍結することを主要な目的としており、政治権力の制限に役立つのではなく、現在の権力保持者の支配を安定・永続化させるための道具となっている。これは典型的な「歪曲憲法」(レーヴェンシュタイン)であり、近代立憲主義が想定する「憲法」とはいえない。中国の憲法学者の多くはすでに憲政の要諦が権力の制約にあり、「有限政府」であることを指摘するが、憲法実践にはなお「憲政」とは大きな隔たりがある。

Posted by: 歪曲憲法(レーヴェンシュタイン) | February 17, 2005 at 12:12 PM

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Tracked on October 21, 2005 at 12:24 AM

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