2005年8月3日付朝日新聞朝刊「私の視点 今自治体にて」に松沢成文神奈川県知事が「ゲームソフト 有害図書指定の輪を全国に」という投稿をしていましたので、紹介させて頂きたいと思います(なお、下線部などは私が挿入したものです)。
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神奈川県では児童福祉審議会の答申を受け、本年6月7日、全国に先駆けて、米国製家庭用ゲームソフト「グランド・セフト・オート3」を、残虐なゲームソフトとして有害図書類に指定した。県青少年保護育成条例に基づく措置だ。
これにより、県内では、このゲームソフトの18歳未満への販売やレンタルが禁止された。販売店などには、商品の陳列も区分して、容易に監視できる店内に置くことが義務づけられることとなった。
本県と同趣旨の条例は、ほとんどの都道府県で制定されている。青少年の性的感情を著しく刺激するものと、粗暴性または残虐性を甚だしく誘発・助長するものを有害図書類に指定できることになっており、この図書類にはゲームソフトも含まれている。
しかしゲームは、雑誌などと異なり、誰もが直接内容を視認出来るわけではなく、操作によって有害な場面が現れる時間や内容が異なるという特徴があるため、指定が難しいという課題があった。
さらに、わいせつ性の高いものは、具体的な基準を定めて、雑誌などを有害図書に指定(包括指定)しているが、「粗暴性または残虐性」については、それを判定する基準が難しい。そのため、「ゲームソフトにも残虐で青少年に有害なものがある」との指摘を受けながらも、有害図書への指定は進まなかった。
ゲームを有害図書に指定した、この先駆的な取り組みは、大きな反響を呼び、多くの意見が寄せられている。「憲法で保障された表現の自由を侵害する」「大量に出回るゲームソフトの中で一本だけ指定しても効果はない」「青少年への悪影響が客観的に証明されていない」など、その大半は批判的なものだ。 青少年の健全育成のために、はんらんする情報をどのように扱ったらよいのか。奥深い課題であり、これを機会に大いに議論をし、対策を考えるべきだ。
ゲームソフトは02年には年間1千種以上製作され、6600万本も出荷されているという。しかし、保護者の方々は、お子さんがどのようなゲームをやっているか、ご存知だろうか。
今回本県で指定したゲームは、主人公が、棒で標的である人間を殴り続ける場面、一般市民を自動車ではね飛ばす場面、頭部を銃で吹き飛ばされた通行人の傷口から血が噴き出す場面などの描写が続く。
しかも、このゲームの主人公はプレーヤー自身である。つまり、たとえ仮想空間だとはいえ、ゲームを操作する青少年が、こうした殺傷にかかわるのだ。精巧な技術開発によりリアリティーが増した場面に向かい、プレーヤーが一人で仮想経験を繰り返す。
こうした体験を続けることが、青少年にどのような影響を与えるのか。私は、ゲームソフトには、自らが操作するという特徴があるが故に、雑誌やビデオと比べ青少年への心理的影響はかえって深刻であり、対策は急を要すると考える。
青少年の健全育成に向けた取り組みは、社会全体の責務である。保護者の方々は、これを機会にゲームソフトに対する関心を高めていただきたい。ゲームソフト関係業界には、今回の指定を契機に、自主規制の動きも出てきたが、社会的責務として、さらなる実効ある取り組みを求めたい。
今回の指定の効果は、現状では県内にしか及ばない。そのため、先日、全国知事会議の機会をとらえて、各都道府県に有害図書への共通指定を検討するようお願いした。
将来を担う子どもたちの健全な育成のため、有害なゲームソフトの規制について、国民的議論を展開し、社会全体で取り組んでいかなければならない。
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この文章は非常に一見尤もらしいことを述べているようですが、実は松沢成文神奈川県知事の「ゲームソフトの有害指定」が、自身の「主観」ないし「思い込み」以外に何ら根拠がないことを明らかにしています。
すなわち、松沢知事は、
①「憲法で保障された表現の自由を侵害する」
②「大量に出回るゲームソフトの中で一本だけ指定しても効果はない」
③「青少年への悪影響が客観的に証明されていない」
という批判の存在に言及はしていますが、何ら有効な反駁、反論をし得ないまま、下線部のとおりの持論を展開させています。松沢知事は、自らの主張に客観的な根拠が存在しないことを十分に承知しながら、ゲームソフト規制を主張している確信犯であることがここで分かります。
松沢知事は、客観的な根拠を求める批判に対し、一見尤もらしいようで実は何らの根拠もない「思い込み」を述べているに過ぎませんが、自らの思い込みの前に、「青少年の健全育成のために、はんらんする情報をどのように扱ったらよいのか。奥深い課題であり、これを機会に大いに議論をし、対策を考えるべきだ。」というフレーズが挿入されているために、一見、まともな議論が成立しているかのような錯覚を読者に覚えさせていますが、これは、詭弁以外の何者でもありません。
有害図書指定制度を導入したことにより、青少年の犯罪が減少したという統計的な事実は存在しません。
「~が有害である」という主張は、一種の「呪文」です。
松沢知事のブログに多くの批判が殺到したことは、「呪文」に惑わされない市民が多く存在するということを意味しますから、非常に喜ばしいことですが、一方で、「呪文」を「根拠のある主張」のように見せかけるデマゴギーが県知事の椅子に座り、しかも、開き直っていることは憂うべき事態であると思います。