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【続】警察による被害者の氏名の発表について

警察による被害者の氏名の発表についての続きです。

毎日新聞の報道によれば、
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政府の犯罪被害者等基本計画検討会(座長・宮澤浩一慶応大名誉教授)は25日、事件・事故の被害者名を発表する際の実名・匿名の判断を事実上警察に委ねる文言を、犯罪被害者等基本計画案の項目に盛り込むことを決めた。
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そうですが、この決定に対する毎日新聞の伊藤正志記者の

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昨年以降、熊本県警や山梨県警が「被害者保護」を理由に、加害者と被害者の間柄や被害者の年齢について虚偽の発表をしていたことが明らかになった。こうした「情報操作」を防ぐためにも被害者への取材が欠かせない。匿名発表はその機会を奪うものだ。
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という問題意識はまさに正鵠を射ていると思います。

犯罪被害者の権利が認められつつあるのは、犯罪が犯人と被害者という個人間の問題ではなく、社会全体で考えるべき問題であり、社会全体で犯罪被害のコストを負担すべきだという考え方が背景にあることを犯罪被害者施策推進会議も犯罪被害者の方々も失念しているのではないでしょうか?

犯罪被害者のプライバシー権は十分に保障されなくてはなりませんが、反面、他の市民には犯罪と犯罪捜査について知る権利があるのです。「プライバシー」対「知る権利」というぎりぎりのところで悩み、考えて判断する責任がメディアにも個々の市民にもある筈です。
警察それ自体も市民によるチェックに晒されるべき存在です。その警察に「プライバシー」対「知る権利」というぎりぎりの判断を委ねて本当にいいのでしょうか?

<今回の答申に賛成した犯罪被害者施策推進会議の方々へ>
 「犯罪被害者の声」がオールマイティーの呪文のように一人歩きをすることを許してもいいのでしょうか?
 市民の知る権利を奪うような制度を作り出してしまっている「あなた」の市民としての責任をどう考えているのでしょうか?

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【続々】小泉首相の靖国参拝はやっぱり違憲でしょう

【続】小泉首相の靖国参拝はやっぱり違憲でしょう」の続きです。

私は、「【論点整理】小泉首相の靖国参拝はやっぱり違憲でしょう」の分類に従えば、

 靖国参拝違憲派かつ大阪高裁判決支持派

ということになりますが、基本的には、「味方」である筈の人達にも今回、「国が上告をしなかったこと」について、大分誤解があるようなので、指摘することにします。

以下、誤解の典型例として thessalonike2さんの「世に倦む日日」を具体例に説明したいと思います。

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さて、二点目の問題は「上告が可能か否か」の問題だが、前に民事訴訟法の第312条で示したとおり、判決の憲法判断を不服として上告する権利は原告被告双方に認められている。政府はその権利を行使せず上告を断念する決定をした。上告を断念した時点で高裁判決を受け入れる意思決定をしたということであり、すなわち大阪高裁の違憲判決を認めたということである。上告しても「上訴の利益」論で上告が棄却されるからという理由づけは、単に上告断念と違憲判決容認の意義を希釈する方便にすぎない。もし最高裁が「上訴の利益」論で政府の上告を棄却したとすれば、そのときは、法務大臣なり官房長官が最高裁を非難する政府談話を発表すればよいのだ。最高裁判所は憲法判断をする司法責任を持った裁判所である。最高裁が「憲法の番人」であることは中学3年の公民で習う社会の常識である。「上訴の利益」論で姑息に憲法判断を回避する最高裁の無責任な態度こそ問題なのだ。
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法曹界の人間自身が国に憲法を守らせるべく行動しなければならないはずだ。誰もそれをしないから、一般市民が勘違いをして「上告はできないはずだ」とメールを寄越してくる。「事実上不可能」と「法的に不可能」とは違う。政府は上告できた。政治的理由で仕方なく断念しただけだ。
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と、悲憤慷慨、威勢よくのたもうて居られます。

しかしながら、「法曹界の人間自身が国に憲法を守らせるべく行動しなければならないはずだ。」という点は、少なくとも、今回の大阪高裁判決を勝ち取った弁護団の方々を初め、これまでの靖国訴訟に関わってきた弁護士に対し非常に失礼な表現です。

次に、原告が請求棄却で勝訴している場合に、理由中の判断への不服を理由として上訴(控訴、上告)することが出来ないことは、昭和31年4月3日最高裁判決が確定判例として存在します。

最高裁判決に拘束される国の立場としては、最高裁判例を無視して敢えて不適法な上告を行うことは出来ないでしょう。
なお、仮に、上告したとしても、明らかに不適法な上告として、大阪高等裁判所により却下されてしまうことは確実です(民事訴訟法316条1項1号)。

thessalonike2さんの論法は、非礼な上に、「国は大阪高裁判決を受け入れよ。」と大阪高裁判決の政府に対する拘束力を強調する一方で、「最高裁判決を無視しても上告せよ。」というダブルスタンダード的な主張という他はありません。
このような、ダブルスタンダード的な主張をされると、靖国参拝違憲論、そして、今回の大阪高裁判決の意義そのものの信頼性、価値が損なわれかねないと思います。

初歩的な知識を踏まえないトンチンカンな反論をした上で、「ネット右翼の無知蒙昧を諭し、最低限の法律知識を啓蒙してやるべきなのだろう」と息巻かれても、thessalonike2さんの言われるところの「ネット右翼」の方々に攻撃の口実を与えてしまう上に、私を初めとする靖国参拝を違憲と考える法曹関係者もthessalonike2さんの立場を擁護することすら不可能になってしまい、正直な話、困ってしまうのです。

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【論点整理】小泉首相の靖国参拝はやっぱり違憲でしょう

大阪高裁の靖国参拝違憲判決を受けて、ネット上で、小泉首相の靖国参拝反対派VS賛成派の激しいバトルが繰り広げられていますが、残念なことに、感情のぶつけ合いに終始していて、有益な議論がなされていないような気がします。

そこで、勝手に論点の整理を試みることにしました。

問題が混乱しているのは、以下のように、二元論的な構図に落ち込んでいるからではないかと思います。

<靖国参拝違憲派=大阪高裁判決支持派> 

<靖国参拝合憲派=大阪高裁判決批判派>

しかしながら、問題の構図はそう単純ではありません。本件に関する論点は、実は、2重の構造になっています。

第1の論点は、裁判所は、小泉首相の靖国参拝という政治的な論点について積極的に判断すべきか、それとも判断を差し控えて政治的な決着に委ねるべきか、という裁判所のありかたに関する論点です。
第2の論点は、現行憲法の解釈として小泉首相の靖国参拝は合憲か違憲かという法的な論点です。

この2つの論点が混同されているために、議論がかみ合わずに感情論になっているのだと考えます。
特に、第1の論点は、憲法学上、「司法積極主義」、「司法消極主義」と言われる論点ですが、このような論点が存在していること自体、あまりに知られていないような気がします。

以下に具体例を挙げて見ます。

① 「司法消極主義」を支持すれば、そもそも裁判所は政治的な判断を差し控えるべきという立場ですから、「靖国参拝違憲派」「靖国参拝合憲派」を問わず「大阪高裁判決批判派」になります。

② 「司法積極主義」を支持した場合、「靖国参拝違憲派」=「大阪高裁判決支持派」、「靖国参拝合憲派」=「大阪高裁判決批判派」という従来の分かりやすい構図になります。 

今のネットの議論を見ると、「司法積極主義」か「司法消極主義」という裁判所のあり方そのものに関する論点が存在していることが忘れられているような気もします。

さらに、第3の論点として、、小泉首相が靖国神社に参拝することが政治的に是か非かという論点を加えると、
②の「靖国参拝違憲派」=「大阪高裁判決賛成派」、「靖国参拝合憲派」=「大阪高裁判決反対派」という構図の中身も単純ではないことが分かります。

まず、「靖国参拝違憲派」=「大阪高裁判決賛成派」の中には、政治的に靖国神社参拝を支持している人も含まれます。憲法解釈と自分の政治的な価値判断を分ける立場ということになります。

次に、「靖国参拝合憲派」=「大阪高裁判決反対派」の中には、政治的な理由(アジア諸国との外交など)から反対する「靖国参拝反対派」も含まれます。

このような観点から、議論の整理をしてみると実りのある議論になるのではないでしょうか?

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【続】小泉首相の靖国参拝はやっぱり違憲でしょう

前の記事の続きです。

小泉首相の靖国参拝が合憲か違憲かという点について議論が盛り上がっているようですが、
大阪高裁の靖国参拝違憲判決に対する靖国参拝賛成派からの批判的な意見の中には、

「上告の理由にならない傍論で違憲判断を示したのはけしからん!」

という意見があちこちに見られるようです。

今回の件で、被告である国が上告出来ないのは、主文において「原告の請求を棄却する」と勝訴しているため、「上訴の利益」が認められないからです。
結論において満足を得られている場合には、判決理由に不満があったとしても上訴(控訴、上告)は許されないのです。

分かりやすい例を一つ。
AさんがBさんを殴り、全治1ヶ月の傷害を負わせたという架空の事案を想定します。

①民事バージョン
 BさんはAさんを被告として、200万円の損害賠償を求める訴訟を提起しました。
 これに対し、Aさんは「そもそも殴ったことはない、仮に殴っていたとしても時効である。」と反論しました。
 この事件において、裁判所は「原告(Bさん)の請求を棄却する。」という判決を言い渡しますが、その判決理由は、AさんがBさんを殴ったことを認めつつも、損害賠償請求権が時効で消滅しているというものでした。
 Aさんとしては、「そもそも殴っていない」と身の潔白を証明したい訳ですが、判決の主文において勝訴している以上、控訴は出来ません。

②刑事バージョン
 Aさんは傷害罪で起訴されました。Aさんはそもそも殴っていた事実それ自体を否定し、Cこそが真犯人であるとして、全面無罪を主張します。
 裁判所は「被告人は無罪」との判決を言い渡しますが、その判決は、Cを犯人として認めておらず、さらに、Aが犯行に関与していた疑いが強いと述べつつも、犯人と断定するだけの証拠はないという「灰色無罪」の判決でした。
 この判決についても、判決の主文において無罪を勝ち取っている以上、理由に不満があっても控訴は出来ないのです。

 議論が盛り上がるのは大いに結構ですが、正確な知識に基づいた反論を靖国参拝賛成派にはお願いしたいものです。

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小泉首相の靖国参拝はやっぱり違憲でしょう

 小泉首相は10月17日、就任以来5度目となる靖国神社参拝を行った。

 それに先立ち、2005年9月30日、大阪高等裁判所は、小泉首相による2001年から2003年にかけての3回の靖国神社に対する参拝行為について首相の職務としての公的性格を認定した上で、津地鎮祭事件最高裁大法廷判決の示した目的効果基準に従い、国が靖国神社を特別に支援しているかのような印象を与え、特定宗教を助長するような効果があったとの判断を示し、憲法20条3項の定める政教分離原則に違反して違憲であるとの判断を示しました。

 私は、法律家としてこの判断は当然の結論であると思いますが、ネットを見ていると、
 「傍論に法的根拠は不要。」
 「全くの個人的な感想で十分」
 「こんなものに何の実行力も、言ってしまえば意味すらない。」
 「判例ではない。」
 「請求棄却で国の勝訴。」
などの感情的な反発論が目立ちます。

 しかしながら、首相の靖国神社に対する参拝行為について政教分離原則に違反するとの司法判断は、決して今にはじまったものではなく、1990年代より繰り返してなされ定着しつつあるものです。

 まず、1985年の中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝に関して福岡と大阪で訴訟が起こされ、1992年2月18日、福岡高裁は、首相が公式参拝を繰り返すならばそれは、靖国神社への「援助、助長、促進」となり違憲となることを指摘する判断を示しており、さらに、1992年7月30日、大阪高裁は、中曽根首相の行った公式参拝は一般人に与える効果、影響、社会通念から考えると宗教的活動に該当し、違憲の疑いが強いと判示しています。

 また、靖国神社にささげる玉ぐし料の公費支出と、天皇や首相らに靖国神社への公式参拝を求めた県議会の決議の合憲性が争われた「岩手靖国訴訟」においては、1991年1月10日の仙台高裁の判決は「天皇、首相の公式参拝は、目的が宗教的意義を持ち、特定の宗教への関心を呼び起こす行為である。憲法の政教分離原則に照らし、相当とされる限度を超えるものと判断せざるをえない」と明確に違憲との判断を示しています。

 さらに、靖国参拝の合憲性を論じる上で、無視することが出来ないのは、最高裁大法廷平成9年4月2日愛媛玉ぐし料事件判決です。この判決において、最高裁は明確に、「地方公共団体による靖国神社や護国神社への玉串料等の奉納が,たとえ相当数の者が望んでいるとしても,公共団体が特定の宗教団体に対して特別の関わりあいをもつことであり,宗教団体である靖国神社や護国神社が特別のものであるとの印象を一般に与えるものであるから,憲法が禁止する国家や公共団体の宗教活動にあたり違憲」であるとの判断を示し、愛媛県知事に対し、玉ぐし料として支出した金額を返還するように命じています。

 常識的に考えて、一国の首相が靖国神社を参拝する行為は、玉串料等の奉納よりも直接的に国家と靖国神社との関わりを顕示するものであり、その違憲性はより明らかであると思います。仮に、最高裁が靖国参拝について判断を示すことがあるとすれば、その結論は「憲法違反」以外にはありえないと思います。

 ちなみに、愛媛玉ぐし料判決は、住民が地方自治体の違法または不当な財務会計上の行為を問う住民訴訟(地方自治法242条の2)に対する判断でした。
 地方自治の場合とは違い、国家の違法または不当な財務会計上の行為を問うことを認める訴訟類型はありません。
 それゆえに、小泉首相については、「信教の自由」という権利が侵害されたことを理由とする不法行為に基づく損害賠償請求訴訟を提起せざるを得ませんでした。
 「不法行為に基づく損害賠償請求訴訟」という枠組みで、勝訴するためには、①違法性、②故意・過失、③因果関係、④損害の発生 の4つのハードルをクリアしなくてはなりませんが、憲法20条3項の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と定めており、具体的な権利を保障していると解釈することは難しいので、「④損害の発生」の前提となる具体的な権利の侵害を認定させることは、解釈上かなり困難です。
 今回の大阪高裁判決も、①②は認めた訳ですが、④の損害の発生を認定することが出来なかったために、「請求棄却=原告敗訴」という結論を導かざるを得なかった訳です。①②に関する憲法違反の判断は、傍論ではなく、自らの判断の過程を判決文において示したに過ぎません。

 私がここに書いたことは、憲法に関する常識であり、別に高度な議論ではありません。小泉首相がそのことを分かっていない訳はないのです。
 要するに、小泉首相は、自らの靖国参拝行為について裁判所が「違憲(違法)」との判断を示し、最高裁判所も同様の判断を下すであろうことを知って確信犯的に参拝している訳です。そうでなければ、首相が昨日、平服で昇殿や記帳もしないなど「私的参拝」の色合いを強めたことが説明がつきません。

 なお、小泉首相を初めとする参拝賛成派は、靖国に参拝するのは過去の戦死者に敬意を表すためだと主張します。
 私も、過去の戦死者に国として敬意を表すこと自体は否定しませんし、むしろ、当然のことだと思います。
 しかしながら、何故、一宗教法人である靖国神社に参拝しなくてはならないのでしょうか?戦没者に敬意を表すためであれば政府主催の戦没者追悼式典を無宗教で行えば十分な筈です。
 首相は就任当初から、他の政治課題と並べて、靖国参拝を行うことを強調して来た以上、単なる戦没者追悼を超えた、隠された象徴的な意味合いがあることは明らかだと思います。
 その象徴的な意味合いこそ、一国の首相をして厚顔無恥にも憲法違反の行為を平然かつ堂々と繰り返させるに至ったものではないでしょうか?

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