【続々】【平成の表現狩り】検証サイト問題
今回の絶版騒動のきっかけになった、
飛鳥部勝則氏「誰のための綾織」における、三原順氏「はみだしっ子」との類似点比較
の問題点は、「誰のための綾織」と「はみだしっ子」の間の表現が同一あるいは類似しているかどうかを比較するにとどまり、同一あるいは類似している箇所について「はみだしっ子」の表現の創作性(思想感情が個性的に表現されているか?)について見当をしていない点です。
「はみだしっ子」の表現に創作性がないというと、ファンの方は怒るかもしれませんが、作品全体として創作性が認められる場合でも、作品を構成する個々の文章を見た場合には創作性が認められないということはよくあります。
このことは、著作権法のイロハに属することです。
著作権法の教科書的に取り上げられる典型的な事例としては、川端康成の「雪国」の有名な冒頭文、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」を挙げることが出来ます。この文章には創作性が認められません。何故ならば、この文章は、「国境の長いトンネルを出たら雪国であった」というアイデアが与えられていた場合、これを文章化するまえの表現としては誰でも思いつく平凡あるいはありふれた表現だからです。創作性を認めるということは、後の人が同一の表現を自由に使用できなくなることを意味し、我々の表現活動の幅を著しく狭めてしまいます。安易に創作性を認めることが出来ないのは当然です。
したがって、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」というフレーズを無断で使用しても何の問題もない訳ですが、このことは、「雪国」という小説に創作性が認められないということを意味しません。
以上を前提に、
飛鳥部勝則氏「誰のための綾織」における、三原順氏「はみだしっ子」との類似点比較
において問題とされている表現について、「お葬式と喜劇」を例にとって検討してみると、「同一部分」とされている表現を見ると、
「大人達は」「葬式の準備に忙しくて」「連れ出し」「とても楽し」「最後はハッピーエンド」「気分のまま」「人々の顔色にも気づかず」
などなど、いずれも日常的に使われている極々ありふれた言葉であり、とても創作性があると認めることは出来ませんし、「類似部分」と称する箇所を見ても、
「誰かがボクを芝居に」「観劇は初めての事だった」「面しろくて」「笑って」「おじいちゃんの家へ戻ったんだ」「おばあちゃんがボクに」
などなど、やはり、いずれも日常的に使われている極々ありふれた言葉であり、とても創作性があると認めることは出来ません。
結論から言うと、どうみても、「場面によっては、プロット、文体が似ているところもある」という以上の類似点を見出すことは出来ませんし、当然、著作権上も何ら問題はありません。この程度の類似を問題にするのであれば、この世に存在するありとあらゆる作品は、先行する作品の「パクリ」ないし「盗作」と言わざるを得なくなるのではないでしょうか。
飛鳥部勝則氏「誰のための綾織」における、三原順氏「はみだしっ子」との類似点比較
というサイトは、著作権、表現行為ということについて十分に調べることなく、飛鳥部勝則さんの著作について「パクリ」と決め付けた上で、「誰のための綾織」という作品について絶版・回収騒ぎを引き起こし、世間の人々が「誰のための綾織」という作品を読む機会を奪うきっかけになったのですから、その姿勢と責任が厳しく非難されるのは当然であると思います。
註① 私は「はみだしっ子」という作品を「まんだらけ」にて購入して読んでいます。
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Comments
言い回しが似るのはいたしかたないことである、法律上問題なし、ということですね。
それではエピソードは真似ても問題ないのですか?
一つ二つのエピソードなら偶然似る場合もあるでしょうが、そうではなく、ある特定の作品の中のエピソードをいくつも「これを使わせてもらおう」と思いながら頂いて、継ぎ合わせて自分の作品として発表するのは法律上問題ないでしょうか?
Posted by: 質問です。 | November 13, 2005 09:02 PM
表現をどんどんブツ切りにしていけば当然のことながら「創作性?」ってのは無くなるに決まってると思うのですが?
そもそもその「創作性?」のない単語が偶然にも相当数重なるのはどのくらいの確率でしょうか?
ある先入観を持って「はみだしっ子」を読まれても多分アラ捜ししかできないような気がします。
Posted by: kyukkyu | November 13, 2005 09:12 PM
>質問ですさんへ
ケースバイケースの判断になるとしかいいようがありません。
>kyukkyuさんへ
まず、表現をぶつ切りにしたのは、検証サイトの作者であり、私ではありません。
自らの作品を作るに際し、他の作品を参照したり、参考したりする行為自体は何の問題もありません。
創作性のある表現が再生されていなければ、著作権侵害の問題は生じないのです。
Posted by: 山口貴士 | November 13, 2005 09:30 PM
恐れ入りますが改めて質問させて頂きます。
それでは今回のケースではいかがな判断でしょうか?
言い回しに関しての判断は既にお聞きしましたので、それに関しての解答は結構です。
お聞きしたいのはエピソードに関してです。
Posted by: 質問です。 | November 13, 2005 09:58 PM
>質問です。 さんへ
本件の場合では、著作権法上は問題ないと考えます。
Posted by: 山口貴士 | November 13, 2005 10:49 PM
「はみだしっ子」は読まれたとのことですが、では、「誰のための綾織」は?
読まれましたか?
問題の箇所の前後の流れを確認されましたか?
その上での問題ないというご意見でしょうか?
引用されている川端康成の『トンネルを抜けるとそこは雪国だった』の例は、この件の場合、比較対照としてはどうなのでしょう???
Posted by: 更紗 | November 14, 2005 12:00 AM
基本的に私の意見はSmall-Picnicさんと同じなのですが、皆様のご意見を拝見して疑問に思った点を挙げてみます。
皆様の反論を拝見すると、どうも論点が「心情論」や「モラル論」にすりかわっているような気がしてなりません。
まず、作者や出版社が謝罪したことで、あたかも有罪性が立証されたかのように仰っているように見受けられるものがあるように感じます。しかし、これは法的な解釈をもとに行われた決定ではないことはあくまで念頭におかれた方がよいと思います。
第二に、当事者でもない第三者による
>十分な根拠と正確な法律知識に基づかない、検証サイトの開設行為は、作者ないし出版社に対する名誉毀損ないし業務妨害行為になりうる
というのは道理にかなっているとも思います。また、それを「匿名」で行っていることは、それこそ「モラル」に反しないのでしょうか。
法律以外の何かで判断しようとするのであれば、それは、あくまで個人個人の感情に委ねられるものではないのですか? 第三者が想像したにすぎない一推論を「世間では」という一般論にしてしまうことは、ナンセンスかつ危険ものである、そういう可能性はないのですか?
「故人の心情」「ファンの心情」と仰っている方や、「ジャングル大帝」「不思議の海のナディア」を例として挙げている方もいらっしゃいます。しかし、自らが想像したものを即「故人の感情」「ファン(全体)の心情」としてしまうような行為は、ある意味では故人、もしくはファンに対する不遜な行為にもなりえませんか? また、手塚プロはこの件に対して、手塚先生がご存命なら喜んでいただろう、という旨のコメントをしたと記憶していますし、庵野監督なりが訴訟を起こした、という話も聞いたことがありませんが、如何ですか?
「表現行為を萎縮させ、表現文化の圧殺の一端を担っている」-児童ポルノ等の問題に真摯に取り組まれてきた山口弁護士の言であるからこそ、この言葉の持つ意味は重いのではないですか。
感情論にならない、山口弁護士の論旨に沿った形での議論・反論を期待させて頂きます。
Posted by: JUPITER | November 14, 2005 01:03 AM
JUPITER様へ
ジャングル大帝に関しては揚げ足取りに
なるので発言しません、記憶されていた
との事ですがその時の顛末をご自分で
調べてみてください
私が言っているのは
山口先生のやり方は山口先生の職業として
正しい方法だと思いますが、現実として
創作活動に当てはめるのは法そのものに
無理があるのではないか?でもその中で
活動するしかないのでしょうから、法の整備を
望むと同時に山口先生にも現段階で最も
状況に適した方法を選んでこういった騒動を
解決していって欲しいという事です。
ジャングル大帝とかほんと揚げ足取りは
やめませんか?自分で調べてみてください。
相手が悪すぎます、戦う場所も経済力も
全部相手があまりにも有利ですからね。
個人的には私も大きな事をした人はどこまで
も懐の広い人間であって欲しいという感情も
有りますし、近くに居た方なら尚更そう
思うでしょう。
それと「被害者が訴えなければ問題ない」
と言う様なそのような発想が答えとして
出てきてしまう思考で創作活動を裁くのは
創作活動の本位から外れると考えると
言う事です。
それと個人的見解を調味料として少々
と言う所です、折角こうして接点が持てた
のですから乱暴でない創作活動の裁き方を
一緒に考えて行けると良いですね
考え方が逆だとしても目的は同じだと
思いますので。
それでは、失礼します。
Posted by: フランクファーター | November 14, 2005 05:04 AM
ここまでのやり取りを拝見していてふと、思ったのですが、嘗て、万葉集はハングルで読める、と言う本が発売され話題になった事がありました。
ハングルが創出された歴史を考えれば、万葉集がハングルで読めると言う解釈は難しいとは思いますが、それでも一冊の本になる程の分量を当てはめる事は出来た訳で。
類似点が問題にされるならば、万葉集は韓国のパクリであって、芸術的価値は皆無だと言うご意見に賛成なのかなぁと、思った次第です。
そもそも、絵画の世界でも、先人の編み出した技法、手法に自らの表現を加味して作品を生み出していくと言う過程は当たり前ですし、絵画も逐一ぶつ切りにしていけば、先人の作品との類似点はいくつか見出す事は可能でしょう。
これは学術論文でも小説でも音楽でも、あらゆる分野においてそうであります。
その事実を踏まえた上で尚、枝葉末節を掘り起こす事で、何らかの類似を見出して批判を行うのであれば、大半の作品の持つ創作性は否定されてしまう可能性があるのではないでしょうか。
問題は、「被害者が訴えなければ問題ない」
ではなく、「被害者が訴えなくとも類似点があれば問題であり、作品が否定される」と言う解釈に有ると思われます。
成立した年代が異なる言語ですら一冊の本になる程度の類似点(当てはめ)を見出せる確立があったのですから、同一言語、同一ジャンルにおいては尚更なのではありますまいか。
Posted by: 山岡 | November 14, 2005 11:02 AM
著作権法上問題が無いのではあれば、弁護士として検証サイトを非難することに注力するよりも、むしろ絶版/回収の判断を行った出版社側(というか昨今の出版業界)の対応/姿勢も問うた方が、今後の為にも生産的なのではないですか?
「表現狩り」だと個人サイトを指弾してみたところで、キリは無いような気がするのですが。それよりは業界体質を改善することが重要なのでは?
いかがでしょうか?
Posted by: 出版側は? | November 14, 2005 12:53 PM
>出版側は? さん
既に、原書房にはメールを送り、さらに、ブログを読んだ上で、対応を改めるように要請しています。
Posted by: 山口貴士 | November 14, 2005 02:44 PM
答えていらっしゃいませんが、「誰のための綾織」の方は読まれたんですか?
また、読まれているとすれば、いつ読んだのですか?
あと、出版社への通告は「講談社」にもした方がいいと思いますが。
Posted by: しつもんです。 | November 14, 2005 04:23 PM
ここまで三連の記事を拝見して思ったのは、この記事であなたは何をしたいんですか?
弁護士として義憤にかられた?
作者が盗作を認めて、出版社も認めたというのに、対応を改めよ、と「第三者」のあなたが言うわけですか?頼まれもしないのに?
これでは「何をしたいかわからない」とあなたをして言わしめた検証サイトの作者とかわりませんね。
Posted by: 由 | November 14, 2005 04:54 PM
某掲示板で掲載されていたのですが、
検証サイトを作ったと思しき人が
ブログで、出版社に再三抗議し、
「無視するなら自分の購読新聞社に投書する
ことも考えている旨を伝えた」
と、脅しめいた事を書いていたそうです。
上記のブログが本人のものであるならば、
三原順、飛鳥部勝則という著作権側の
話し合いが行われる前に
「検証サイト」と「出版社」側の話し合いで
絶版が確定したことになったのでしょうか。
この話は推測の域を出ないものですが、
それだけ影響力があるのなら、
検証サイト側も実名等ある程度プロフィールを公表しても良いと思うのです。
表現の感覚は10年、20年後には移り変わると思います。
著作権者でもない人物が一人の作家生命を奪うのですから、
「リスクを覚悟でやってる」というのであれば、
当然ではないでしょうか。
「盗作疑惑」に過敏に反応してしまう
出版社側にも問題があると思いますが、
例えば、作者に私怨があり、知人に頼んで
複数で抗議メールを送りつけたり、
掲示板であおればそれらしく見えてしまう。
それほど「検証サイト」というものは
匿名性の危険を孕んでるのですから。
そういう意味でも
今回の「誰のための綾織」の絶版は
特異なケースだと思います。
先生の「魔女狩り」という言葉は
少々強いような気がしますが、
昨今の「検証サイト」は
ばれなきゃ何をしても良いというような
甘えの性質があると思います。
依頼されてないにしても、
こういった問題に目を向けてくれる
弁護士さんが増えることは心強いですね。
Posted by: 渡辺綾子 | November 14, 2005 06:43 PM
・・・?
検証サイトを作成された方と
うわさのブログの方は別人では?
もし何か疑惑があるなら
URLは明記された方がいいかと。
Posted by: さてはて | November 14, 2005 07:53 PM
>無視するなら自分の購読新聞社に投書する
ことも考えている旨を伝えた
コレを書いたblogの持ち主は私です。
(正確には"無視するなら”ではなく、“このまま何の音沙汰もないようなら”です。)
http://blog.so-net.ne.jp/sarasa-kingdom/
これはたった3日間で謝罪リンクを外した出版社に対して、「たったの3日間の謝罪文公開で済ますのか?それではあまりに不誠実だ!」と当時はかなり怒髪天に達していましたので、その旨を伝えたのです。
もちろん、その時はかなりヒートアップしていたのは認めます。
ですが、決して匿名で発信源をうやむやにするのではなく、自分の発言は全て自分で責任を負うつもりでしたので、blogでも明記していますが、2度共出版社へのメールは「実名・住所明記」で送っております。
Posted by: 更紗 | November 14, 2005 08:33 PM
出版社に働きかけていただいてるとのこと。一安心しました。
このブログは主に法律論を旨とする論議が中心ではないかと推察いたしますので、なかなかコメントしづらいのですが、あえてマナー論に堕してしまいますけれど、今回のケースの場合、きちんと三原作品へのリスペクトを表明するなどの選択肢が出版側にあったのではないかと感じています。
個人的には二次創作なども是とするところから、最近よくみられる臭いものには蓋のような安易な絶版/回収や、逆に無闇な版権の乱用など、出版業界の意識が改善されていくことを願うばかりです。つまらん感情論ですみません。
Posted by: 出版側は? | November 14, 2005 09:03 PM
フランクファーター様
>ジャングル大帝に関しては揚げ足取りになるので
>ジャングル大帝とかほんと揚げ足取りはやめませんか?
フランクファーター様が挙げられた事例ですのでその線で話してみようと思い、敢えて挙げさせて頂きました。
挙げられたご本人のご希望ですので、これについては、その時の詳しい顛末については私も敢えて発言致しません。
>個人的には私も大きな事をした人はどこまでも懐の広い人間であって欲しいという感情も有りますし、近くに居た方なら尚更そう思うでしょう。
そうですね。それもまた「一推論」ですね。
「個人的見解」という言葉をフランクファーター様は用いておられます。この5文字の言葉のもつ意味をあらためて考えてみて下さい。個人的見解はあくまで「個人」の「見解」であり、これを全ての人に通ずる「一般論」「世間では」としてしまうのはナンセンスであり、大変危険なことと思われます。皆様のご意見の中には、その点を見落とされているものもあるように見受けられたため、敢えて発言させて頂きました。
「裁き」という言葉はあまり心地よい響きのものではありません。私は、「検証サイト」と称するものの「検証」とやらの中に「天に代わりて不義を討つ」といわんばかりの姿勢があることに一種の恐怖を感じます。その「天に代わりて」の部分が、個人的見解を全ての人に通ずる「一般論」「世間では」として強制するもののように思われるからです。
Posted by: JUPITER | November 14, 2005 10:25 PM
はじめまして。caqと申します。
個人的に、あらゆる物語は過去の作品の模倣であると思います。ですが、程度問題というものはないのでしょうか。
>この世に存在するありとあらゆる作品は、先行する作品の「パクリ」ないし「盗作」と言わざるを得なくなるのではないでしょうか。
この世に存在するありとあらゆる作品は、先行する”単一のシリーズ”作品の「パクリ」ないし「盗作」を行ってはいません。その言い方は極端だと思います。
>というサイトは、著作権、表現行為ということについて十分に調べることなく、飛鳥部勝則さんの著作について「パクリ」と決め付けた上で、
という部分は、決め付けたのではなくて、事実なのでしょうか。
「この程度は似て当然だ」と「好きな作品なので、台詞回しを拝借しました」と「好きな作品への、オマージュ・リスペクトです」では、私は受ける印象がだいぶ違います。
今回、山口さんのブログにコメントしようと思ったのは、言い方が気になるな、と思ったからです。
「良くあることだし、法律的にも問題ないし、ちょっと相手方のファンが怒ったからって言って、過剰反応するのは良くないよ」って出版社にアドバイスをするのと「法律の知識も無いヤツが偉そうに比較とかして、それで出版差し止めとかはどうよ?」というのでは、違いがあると思います。
「法律として問題の無いパクリ方」と「パクリじゃない」というのは、やはり違いがあると思うのです。今回はその点が問題になっているのではないかと。
『12人の優しい日本人 』という作品があります。先行作品である『怒れる12人の男』との類似点は多いです。技術ではなく、あからさまに模倣です。ですが、『12人の優しい日本人』は「盗作」でも「パクリ」でもないと思います。
正直に言って「好きな作品で、尊敬してます」とはっきり言った上でほうっておけば誰から別に問題なかったのではないでしょうか。
私は、パクリがバレたから恥ずかしくなったんではないかと推測します。
他の人が「誰のための綾織」を読めなくなったのは残念です。別にまるまるパクったってわけでもないし、お話としては別物ですし。でもこの作品がなくなっても、表現文化を圧殺することにはならないと思います。気軽に他人の作品をパクれなくなるだけで。
まず結論ありき、で論を展開なされているような印象を受けましたのでコメントさせていただきました。長文失礼いたしました。
Posted by: caq | November 14, 2005 10:29 PM
大変失礼しました。別人だったんですね。
私はあなたほどのファンではないですが、
かつて三原順さんの白いコマだらけになった追悼号?
のようなものを悲しく読んだものです。
(何せ昔なので記憶違いだったらごめんなさい)
もちろん「綾織」も当然読み比べているし、自分なりの考えもあります。
だから、表現の自由はあるけど、
「飛鳥部の亡霊に襲われた~」みたいな
エキセントリックな表現をされると、すべて三原ファンが
そのように思われる気がして、正直不快感がありました。
特に今回は感情剥き出しの飛鳥部批判が目立っていますので、
これらが三原ファン側の仕業でないことを祈るばかりです。
それに、安易に出版者との交渉をブログに掲載するのは、
マナー違反ではないですか?
原書房は三原ファンの脅しに簡単に屈したような情けない印象を
受けます。完全なイメージダウンでしょう。
脅せば出版社が動くということを証明したのですよ。
影響力は非常にあります。今後そういった読者が増えた場合、
ブログでも実名を公表し、責任を負う覚悟があるのでしょうか。
…私信ぽくなってすみません。
Posted by: 渡辺綾子 | November 15, 2005 07:26 AM
確かに、今回の事件は特異である。
「三原ファン」と「原書房」とで絶版を取り決めた感があって、
新聞に目を凝らすと著作権者サイドの
飛鳥部、三原遺族、白泉社が争った形跡がない。
仕事の関係で、著作権所有者の複数の遺族と接したことがあるのだが、
「オヤジ(著作者)のね、名前が出るだけでうれしいんだよ。
お金なんかいいよ」
「この写真の掲載は○○円。表紙なら追加料金。
こちらまで振り込んでください」
「主人の名前なんか聞きたくありません。
勝手に載せてかまいませんから、了解の電話なんて迷惑です」
皆さまざまな反応であった。
故人と遺族の微妙な人間関係が見え隠れしていた。
なぜ三原ファンは「三原遺族と白泉社」側の意志確認をとらな
かったのか?
三原側が争いたくなくて放置したので、ファンのみが暴走し、
原書房に恐喝したのではないかと勘ぐってしまう。
三原側の遺族が一般人とするのであれば、
「そっとしてほしい」という念があったのかもしれないし、
遺族は、今後三原ファンの恐喝行動を不快に思う可能性もある。
裁判沙汰になれば、告訴する側の出費も馬鹿にならず、
勝利出来るとしても得る金銭は少ないし、
時間や精神的にかかわりたくないという動きは多い。
原書房が疑惑の個所は十数か所と発表したが、
これは三原ファンの指摘と同数である。
一般のブログ等を見ても、数個だ、20個だ、いやこれなら許せる
という、個人の感覚にゆだねられる問題にもかかわらず、
即断している。
個人的には、三原ファンの抗議行動に怯え、
さほど売れっ子ではない作家を切り捨てれば終わりというような、
出版会の脆弱さを露呈されたようで、原書房の行動に納得行かない。
これでは出版社と作家の信頼関係が崩れてしまうではないか。
多少の疑念があったとしても、著作権者と戦うまで、
本と作者を守るというスタンスをとらないのは、
会社全体のモラルを問われてもおかしくはない。
現に三原ファンのブログで馬鹿にされている。
故人、遺族、作者の気持ちが伺えない方向で決着した
「著作権者不在の争いのゆくえ」は業界でも大変注目している。
Posted by: a.k | November 15, 2005 07:37 PM
>a.k さん
過分に憶測が入ってますね。
飛鳥部作品の三原作品との類似点を指摘したのは、三原ファンだけでなく、ミステリファンもです。
事実として確認されているのは、読者による「指摘」と「抗議」だけですが、飛鳥部擁護の方々は、何を「脅迫」や「圧力」と妄想してるんでしょうかね。絶版を決定したのは、出版社と作者であって、読者はその決定には介入してないはずですが。
「>なぜ三原ファンは「三原遺族と白泉社」側の意志確認をとらなかったのか?」
これも、おかしいですよね。三原遺族と白泉社と協議するのであれば、読者からの指摘を受けた原書房と飛鳥部氏であって読者ではないでしょう。
個人的には、読者が三原遺族と白泉社にアプローチした場合、「遺族と出版社を炊きつけて圧力をかけた」と飛鳥部擁護側から批難されるような気もするのですが。
Posted by: balad | November 15, 2005 08:50 PM
検証サイトには載せていないけど他にも数点類似点があるとありましたよね。
>渡辺さん
正直3日で掲載を取り止めた方が出版社の姿勢としてはどうかと思います。
よく考えて下さい。回収されてるんですよ?
好きな作家の本がある日突然、店頭からなくなっている、どういうことかと読者は思うでしょう?
その時に出版社のサイトに行っても何も書かれていない、公式サイトも無くなっている、あるのは検証サイトだけ。
これでは読者は一体何が起きたのかと混乱するばかりだったと思います。
それと更紗さんに実名でブログをやれとおっしゃいますが、実名で行った場合における犯罪の可能性というのはお考えになったのでしょうか。
実際に実名でブログをしてストーカーにあった人もいました。
更紗さんに自重をお求めになるのであれば、ご自身も少し落ち着かれてはいかがでしょうか。
Posted by: 通りすがり | November 16, 2005 01:37 AM
知っていらっしゃるかもしれませんが、山口先生に
下記の例についてもどう思うかご意見を頂く思います。
篠原一氏の検証サイトと出版社の謝罪
http://crybaby.qp.land.to/
http://subaru.shueisha.co.jp/html/read/re0511_2.html
末次氏のトレース疑惑の謝罪と波紋記事(韓国記事)
http://www.kodansha.co.jp/betsufure/
http://kuki1.stoo.com/news/html/000/427/786.html
上の例は今回のニュースよりも先でしたが、
やはり漫画→小説からである点、検証サイトが出来て、
読者からの指摘で謝罪に至った点などが似ていると思います。
下の件は漫画→漫画からですが、盗作元と言われる作品が
有名なこと、絶版回収連載中止という処分の重さなどで話題になり
最近ニュースでも取り上げられました。
しかし、ここに来て盗作された側である井上氏のトレース疑惑も
出てきて韓国の記事にまでなったようです。
ただ面白いのは、井上氏のトレースは擁護される意見が多く、
末次氏や上の篠原氏などは、処分・謝罪後も検証を続ける人、
叩く人が多いことです。(面白半分もあるのでしょうが)
勿論、度を越えた盗作行為を擁護するわけではありませんし、
個人的には上記で挙げた篠原氏・末次氏・井上氏と飛鳥部氏の
「パクリ」は黒だろうなと思いますが、結果に対する反応を見ると、
パクリ問題を語る側の意見の大半は主観でしかないことに
気づくと思います。つまり、嫌いな作家のパクリは許せなくて、
好きな作家ならいいと。
そんな主観にもとづいて「パクリ認定」をすること、ひいては
「検証サイト」を作って各所へ呼びかけることが、嫌いな作家や
漫画家を社会的に葬るための道具になっている気もします。
「パクらなければ問題はない」という意見もありますが、
パクリの判定そのものが曖昧であったり、同じことをしても
許される人許されない人が読者の主観で選ばれている以上、
絶対に白である創作者はいないような気もします。
Posted by: kao | November 16, 2005 04:06 AM
こんにちは。
山口さんの記事は、「検証サイト」比較レベルで語っているのが哀しいんです。
確かに今読んでいらっしゃる「はみだしっ子」は字は多いんですが、小説ではありません。絵がついたマンガです。それを文字だけの小説と同じように引用して取り上げる、つまりは「検証サイト」で書かれたことだけで判断して記事を書いているのはあまりにも軽率な行為とは思えませんか?
今回の問題はその「検証サイト」の話ではありません。作品があってこそサイトができて、議論の対象になった。でも、山口さんは議論を読んだだけで判断してしまったから、ファン(特に「はみだしっ子」側)から怒りを受けてしまったのだと思います。
このブログがどうなるかは分かりませんが、山口さんとして、両作品を見比べてから書いたパクリ、盗作に関した記事を読んでみたい気がします。
Posted by: みーちゃん | November 16, 2005 12:44 PM
先に書いた私の意見が、ちょっと誤解を招きそうな気がしてきたので、追記いたします。
絶版/回収というのは、最終的な判断であってある程度不可逆的だと感じています(再販も出来ないことはないが)。
先に、「今後のことを考えて」と書きましたが、まさしくこの不可逆的な性質のもと、出版側での、安易な判断が増えて行ってしまうことを危惧するという主旨でした。個人的には今回の件は、すでに絶版/回収の決定をしているので終わったことだと認識しています(事実関係についての詳細な報告は欲しいところですが)。
以降、再び印象論です。
なぜ、こんなことを書き出したかというと、今回の著作者の謝罪文が変更されたのを見たからです。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/s3k1/a/
ただ、この文章を見ると、どうもこの著作者に共感することが出来きず残念です。文意としては著作権の扱いと自らの権利の主張ばかりで、実際に自らが行った創作そのものに対する考え/内省がまったく見られません。要するに「私は被害者です」という主張として受け取られてもいたしかたない印象があります。
「盗作」という言葉は著作権法上でも使う用語なので、あえて用いず、丁度、上記のトレース疑惑のトレースという言葉がうってつけだと思いますが、今回の件はまさしく文章をトレースしたとしかいいようがないかと思います(おそらくこのサイトでの論理に基づけば、著作権法上トレースは問題ないのでしょうが)。このトレースですが、能動的な意志を持って行われるものだと考えております。この辺りの事情/状況について、著作者の謝罪文(?なのか?)は、まったく触れてません。創作的には、断片的に他の著作物を引用するという技術もあると思いますが、それは能動的なものであって、ネタとして仕込むならば、指摘を受けてネタバレしたらトレースした事実をまず認めること、更にその意図を説明する責任があるべきではないかと思います。また、練習スケッチとしてトレースし、それを用いたとしたのだとしても、そもそもトレースした段階での何らかの能動的な意図があったはずであり、その意図について説明するべきだと思われます。そうした説明こそ、リスペクト表明の一つの形になるのではと思います。
なお、以下は憶測になってしまうのですが、もし、この件について、山口先生が関わっておられるとするならば、私としては残念ながら現時点山口先生のお考えを支持することが出来ません。
また、再度ですが、すくなくとも、この著作者の発表文章からは、感情的には支持しづらい/同情できないし、もし、今回の件が技術的なミスなのだとしても、同情できないです(ちょっとミス多すぎ)。
なお、当該文書では、「今後改めて」報告すると書いてはありますが、ここからも、やるべき作業の意味の理解と優先順位付け判断がどこかズレてる印象を受けました。
雑文失礼。
Posted by: 出版側は? | November 16, 2005 01:10 PM
ちょっと時間無いので…慌ててました。訂正します。
「今後のことを考えて」 → 「今後の為にも」
「盗作」という言葉は著作権法上でも使う用語 → 「盗作」という言葉は著作権法上で問題を取り扱うことを連想させるので
Posted by: 出版側は? | November 16, 2005 01:36 PM
漫画ファン的には許し難い気持ちがあるのかもしれないけど
「著作権的にシロなら問題無し」
という、ドライな態度が一番じゃないのかなあ。
単なる感情論以上の議論を追求するとどっかで破綻する気がする。
単純にスキキライでいいんじゃねーの? それが読者に出来る最強のジャッジだと思うんだけど。
Posted by: Root | November 17, 2005 12:30 AM
現に、相当数の重複する表現があること自体には誰も異論がなく、ただそれが技の範疇の模倣であるのか、盗用=パクリであるのかについて、判断が分かれているのですよね?
誰一人異論を唱えようも無い事柄なら、最初から騒ぎにもならんでしょう。
検証サイトを作った人は「著作物として問題あり」と判断し、問題提起した。山口さんは「問題無い」と考えている。それだけのことじゃないんですか?
対立する判断があるのはあたりまえの事で、それを自分の見解とは違うからといって「検証が不足しています」と指摘するに留まらず「安易な検証は名誉毀損に」云々とするのは如何なものか。
片方がファン心理としての過剰反応であるならば、山口さんの記述は、言葉狩りと称される一連の動きに対しての怒りからくる過剰反応と感じられて仕方がありません。
Posted by: のあ | December 11, 2005 04:05 PM
絵を描いている者です。
表現の自由というのは、できうる限り無条件で認められなければならないと思います。
そして、仮に最低限の条件が必要だとしてその範囲を決めるのもまた言論という表現によってなされるべきです。
今回の問題で議論を避けているのは碌に検証もしないで(多分)絶版にしてしまった出版社であり、これは表現の自由を踏みにじるものです。
パクリを指摘し、改善を求めた側は、きちんと自身の考え表現をしているのでなんの問題もありません。
山口さんがこれはパクリではない、と表現するのも各々の考え方で結構なことだとと思います。その点で議論をすればいいわけです。
ただ、他人が表現すること自体を批判するのは筋違いでしょう。表現した内容を問題にすればいいわけで言葉を発すること自体がよろしくないというのなら、それこそが「言葉狩り」です。
Posted by: コバヤシ | December 12, 2005 03:10 AM
演奏しているものです。
何らかのパクリを用いて、作品というものは成り立っているんじゃないでしょうか。自分の体を通してきたものが、意識的にせよ無意識にせよ抽出されたものが、ある表現者にとっての「作品」や「表現」になる、なってしまうものだと思っています。
ただ、作品をよく知っているファンの方々からすれば、「明らかにパクリである」と思う部分があるからこそ、心情的に許せないと感じるのでしょう。思い入れが深ければ尚更のこと。
今流れている曲が10年前、10年前の曲が20年前、20年前の曲が30年前、1960年代の曲が1940年代、1940年代→1920年代、1920年代→1890年代(このあたりは外国の話になりますが)に、流れている曲の「パクリ加減」をさかのぼることが出来ます。少なからず。メロ進行、コード進行そのままで。まあ国と時代が違えばデータが揃わないので訴訟にはならないんでしょうけど...
対比される作品同士が、時間的空間的に近い場合、比較されやすいので「問題」とされるのでしょう。音楽と違って文字媒体を扱う場合は特に。
音に係わる「パクリ」については、ネタバレさせようにもどれもこれもパクリ、業界的にもパクってなんぼですから、割合緩く考えられているかもしれません。山下達郎のクリスマス・イブの間奏が「パッヘルベルのカノンじゃないか!」と憤っても、周りから「それで?」と言われておしまい。
ある作品のパクリの足がついても、「ええやん?」と感じる心。芸術を分かち合う心。こういう感性があってもいいかなあ、と思います。
著作権法の規定がなくなり、遺族や関係者などが亡くなり、誰ぞの作品とも分からない頃、完パクされて別名で仕立て上げられるより、こうやってパクったと指弾される作家、糾弾するファン、義に燃える弁護士さんのおかげで、亡くなった方の精神的遺産が蘇ってきた。故人にとっては喜ばしいことではないでしょうか。
Posted by: じょあお | December 27, 2005 07:59 PM
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