私はこれまでに、児童ポルノ規制に名を借りたマンガ、アニメ規制や青少年健全育成を口実とした「有害」な情報や表現の規制に反対してきました。何故ならば、「表現/コミュニケーション」と「行動」は厳密に区別されるべきものだからです。犯罪に関する「表現/コミュニケーション」と犯罪そのものは明らかに違います。
しかしながら、共謀罪(より正確には、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部改正)というのは、人と人とのコミュニケーションに国家が介入することを認める法律であり、さらに言えば、人と人とのコミュニケーションそのものを「犯罪」として処罰することを可能にする法律です。人の内心や思想を、直接に処罰するものではないですが、人と人とのコミュニケーションそれ自体を処罰することによって、間接的に、人の内心や思想を処罰することにつながりかねません。
共謀罪が成立した後の世の中は、表現の自由は当然のこと、思想・信条の自由も認められない世の中になることは必然です。
おそらく、政府としては、共謀罪制定後、人と人のコミュニケーションを詳細に把握する手段がなければ、共謀罪の取り締まりの実効をあげることができないという理由で、盗聴法(犯罪捜査のための通信傍受に関する法律)の基準を緩和して警察が盗聴をしやすくしたり、潜入捜査(捜査員を組織にスパイとして潜入させること)を含むおとり捜査を法律で合法化することを目論んでいるものと思われます。
我々は、少しばかりの安全のために、表現の自由やプライバシーを売り渡してもいいのでしょうか?
They that can give up essential liberty to obtain a little temporary safety deserve neither liberty nor safety.
-Benjamin Franklin-
一時の安全を求めるために、自由をあきらめる者は、自由、安全の何れにも値しない。(ベンジャミン・フランクリン)
という、イギリス国王と議会による圧制に抵抗した先人の言葉を今一度思い出す必要があります。