【画期的判決】<国旗国歌>学校強制に違憲判決 教職員401人が全面勝訴【日の丸】【君が代】
卒業式や入学式などで、日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するよう義務付けた東京都教委の通達は違憲違法だとして、都立学校の教職員ら401人が義務がないことの確認などを求めた訴訟で、東京地裁は21日、原告全面勝訴の判決を言い渡した。難波孝一裁判長は「通達は不当な強制に当たり、憲法が認める思想・良心の自由を侵し、教育基本法にも違反する」と指摘。教職員らに従う義務がないことを確認したうえ、通達違反を理由にした処分の禁止や1人当たり3万円の賠償も都と都教委に命じた。都側は控訴する方針。
判決は、国旗国歌の生徒への指導が有意義であることを認めつつ、懲戒処分などを背景に教職員に強制するのは「行き過ぎた措置」と明確に断じ、教育現場での日の丸、君が代を巡る訴訟で初めて違憲判断を示した。処分の「事前差し止め」を認めた判決は異例。全国各地の同種訴訟に大きな影響を与えそうだ。
争われたのは、都教委が03年10月23日に都立の高校や盲・ろう・養護学校長あてに出した「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」。都教委は通達に基づき、教職員に式典での起立などを命じる職務命令を出すよう校長に指示した。
判決はまず、日の丸、君が代について「第二次大戦までの間、皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられ、現在も国民の間で宗教的、政治的に価値中立的なものと認められるまでには至っていない」と指摘。「掲揚や斉唱に反対する教職員の思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反しない限り、憲法上保護に値する」と位置づけた。
通達については(1)斉唱などの具体的方法を詳細に指示し、校長に裁量を許していない(2)校長が出した職務命令違反を理由に、多くの教職員が懲戒処分などを受けた――などと認定した。
そのうえで「通達や都教委の指導、校長の職務命令は、教職員に一方的な一定の理論や観念を生徒に教え込むことを強制するに等しい」として、教育基本法10条1項で定めた「不当な支配」に当たり違法と判断。「公共の福祉の観点から許される制約の範囲を超えている」として、憲法19条の思想・良心の自由にも違反すると結論付けた。
さらに、通達に違反したことを理由にした懲戒処分は「裁量権の乱用に当たる」として今後の処分を禁止。「教職員は、従う義務がないのに思想・良心に反して職務命令に従わされ、精神的苦痛を受けた」として、退職者も含めて慰謝料を認めた。【高倉友彰】
▽原告団、弁護団の声明 思想・良心の自由の重要性を正面からうたいあげた判決で、わが国の憲法訴訟上、画期的だ。教育への不当・不要な介入を厳に戒めており、教育基本法改悪の流れにも強く歯止めをかける内容だ。
▽都教委の中村正彦教育長の話 主張が認められなかったことは、大変遺憾なこと。判決内容を詳細に確認して、今後の対応を検討したい。
(毎日新聞) - 9月21日21時50分
--------------------------------------------------------------
私は、日の丸、君が代は、国旗及び国歌に関する法律が制定される以前から、国旗であり国歌であるという立場ですし、日の丸が国旗、君が代が国歌のままで構わないと考えています。それは、以下のような理由に基づきます。
確かに、歴史的な経緯を鑑みれば、日の丸、君が代が国旗、国歌として相応しくないという意見の理由も理性的には分からなくもありません。
しかしながら、子どもの頃に、アメリカで長く生活し、日本人学校ではなく現地校に通い、友達も殆んどアメリカ人、話す言葉も英語、という生活をしていると自分が一体何者なのかということを日常的に考えさせられます。これは、日本でずっと生活された人やある程度成長してから海外に行かれた人には分からない感覚だと思いますが、例えば、ニューヨークの国際連合本部前において日の丸の旗が翻るのを見て、あるいは、国際的な競技会などで君が代が流れるのを聞くたびに、自分が「日本人」であるというアイデンティティーを再確認し、アメリカに住み暮らそうとも、自分の五体と心は日本の風土と結びついていることを感じ、日本こそが「我が祖国」であるということを理屈抜きに実感してしまうのです。非常に不思議な感覚としか言いようがありませんが、日の丸、君が代以外を国旗、国歌としては受け止め難く思うのです(情緒的な意見で済みません)。
という訳で、日本の国旗=日の丸、日本の国歌=君が代、で全く構わないというか、他に考えられないというのが私の考え方です。
ただ、日の丸、君が代の押し付けには絶対反対します。日の丸を掲げろ、君が代を歌え、と強制することは間違いですし、その風潮がある限り、市民の反発を買うことは当然です。というか、僕自身も強い反発があります。日本は、思想良心の自由(特に、少数者の!)を初めとする人権を尊重する民主主義国家であり、国旗、国歌は日本という国のあり方を定めた日本国憲法の理念の象徴の筈です。幾ら公務員とは言え、懲戒処分による恫喝をちらつかせ、起立・斉唱を強制すること自体、国旗、国歌の理念に反するというのが私の意見です。「式での国歌斉唱などを積極的に妨害したり、生徒に国旗国歌の拒否をあおったり」する行為は、公務員である以上、規律違反に問われても仕方が無いのかも知れませんが、消極的に拒否することまでも取り締まるのは明らかに行き過ぎでしょう。日の丸、君が代は、掲げたい人が掲げ、歌いたい人が歌えばよいのです。
学校において、日の丸、君が代が国旗であり、国歌であるという知識そのものを教えることはともかく、「懲戒処分をしてまで起立、斉唱させること」は、明らかに行き過ぎであり、憲法19条の保障する思想・良心の自由に反することは、明らかです。今回の東京地方裁判所の判断は、非常にもっともな判断を端的に示した画期的な判決であり、高く評価したいと思いますし、どうせ、東京都は控訴してくるでしょうから、東京高等裁判所においても、さらには、最高裁判所においても同様の判断が示されることを強く願っています。
なお、小泉首相は、
--------------------------------------------------------------
<国旗国歌>小泉首相が違憲判決に疑問
小泉首相は21日、入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代斉唱を強制したことを違憲とした判決について「法律以前の問題じゃないでしょうかね。人間として、国旗や国歌に敬意を表すというのは」と述べ、疑問を投げかけた。思想・良心の自由については「裁判でよく判断していただきたい」と述べるにとどめた。
(毎日新聞) - 9月21日21時13分
--------------------------------------------------------------
と述べていますが、「国旗や国歌」を法律で定めてしまった以上、法律に従うことを求めることは出来ても、法律で定めた内容について、「敬意を表す」ことを求めることは出来ないでしょう。法律に従うことを要求することは出来ても(上位規範である憲法に違反しないという大前提あり)、法律に定めた内容に「敬意を表す」ことを求めることは民主主義国家では許されないことです。
何故ならば、法律というのは、ある時点における多数派の民意の反映に過ぎず、別の考え方が多数派を占めるに至れば、改廃されるべきものだからであり、市民は、常に、法律について批判的に考える自由を有するからです。つまり、国民の持つ価値観は絶えず変化しており、今日の多数派が明日の多数派であるとは限らない以上、また、人間は試行錯誤を繰り返す存在であり、多数派の意見が常に正しいとは言えないという事実を素直に認めて国家の制度設計をしなくてはならないからです。
実は、国旗及び国歌に関する法律を制定してしまったことの弊害はここにあります。法律さえ変えれば、国旗・国歌も変えられることになったのです。非常に、極端な例を挙げれば、インターナショナルを国歌にし、「鎌トンカチと星」を縫い取りにした赤い旗を国旗にすることも可能になってしまったのです。何だかんだ言って、日の丸と君が代は、日本の国旗と国歌として世界的に認知されていますし、他に、国旗と国歌として相応しい候補がある訳でもありません。憲法的な習律として、そのままにしておけばよかったのです。
参照⇒杉浦法務大臣初登庁後記者会見
The comments to this entry are closed.

Comments
わたくしもこのケースに疑問ですの
わたくしは山口氏の生きてこられた
年月と同じ位の長いアメリカ生活ですから
アメリカでは国歌斉唱場所でも
アメリカ国籍でなければ、当然のことながら
起立もしない方もいますの
それに対して主催者側がどうこう言うこともなく
でも日本は,全員が起立していれば
してない方にお目目を向けて
なぜ起立しないのだと青筋を立てて
言いそうな気配ですものね
過去の時代から皆がそうしてきたから
現在も皆同じ姿勢でいるのが常識と
古臭い発想が優先ですものね
なんでも皆と一緒、それで社会がまとまる
と、軍隊式とでもいうでしょうか
自由がないのが日本、卒業式には君が代斉唱
そして起立、、どこまでも
皆と一緒じゃないと式典も進まずって
君が代を歌いたくない人ばかりに目くじらを
立てるよりは歌いたい方にご注目されれば
よろしいのに、、歌うのも個人の発想をないがしろにする
日本国、、わたくしはそんなことにまで
干渉する日本にはもう住めないでわね
Posted by: calwestcoast | September 22, 2006 05:22 PM
公務員は「思想信条の自由」がある程度制限されることはないのでしょうか?
公務員が自分の思想信条を振りかざして仕事をおこなったら,地方でも国でもうまく行政機構が動かない気がするのですが?
どうも今回の裁判に関わっている先生たちは「自由」を振りかざしすぎで,「都民の税金で食べさせていただいている公務員」であるから公務を法律に則って行うという意識が希薄なような気がして仕方ありません.
憲法は,権力を持つ人々を制限することが主目標ですよね.公務員は権力機構の一部なのだから,思想信条の自由はある程度制限されても仕方がないと思うのですが...
また,教員が自分の思想を,教室から逃げることの出来ない児童・生徒に押しつけるもしくは明示的に行為として示すということは,それこそ強制となるわけですが,公教育の場でそのようなことを法律的に許されるものなのでしょうか?
単純に右翼・左翼の問題でなく,なんで公務員がやりたい放題で許されるのかに不思議で...
Posted by: nobu | September 22, 2006 06:26 PM
ということは突き詰めると思想信条の自由を盾にすれば「先生!これは思想信条の自由です。憲法に認められている人権だから○○を拒否します」と生徒が教師の言うことも聞かなくてもよくなるわけですね。どう生徒に対して示しがつくのですか?わがままとどう違うのですか?教育委員会が強制したのもあまりにも教師側のわがままが目に余ったからではないでしょうか。大人なら多少自分の信条に反してでも我慢しなければならないことがあるはずです。
憲法にも書いていませんか「国民は、これを『濫用してはならない』のであって常に公共の福祉のためにこれを利用する『責任を負う』」って。
それに思想信条の自由ってそんなにオールマイティーでしたっけ?内心においては自由というだけで起立拒否などの消極的にせよ外部に表現する自由まで射程範囲ですか?起立や斉唱をしても内心で「クソッタレ日の丸、クソッタレ君が代」と思うのは絶対的に自由でありそれを強制的に吐露させることはできないということだではないしょうか?
起立拒否はただ漫然と起立しないのではなく、意思に従って『あえて』起立しないのですよね?しかも起立拒否によって内心の考えが分かるということは意思表示の発現として表現の自由で考えるべきことだと思います。
>掲げたい人が掲げ、歌いたい人が歌えばよいのです。
これはあくまでも一個人の問題です。しかしながら公立学校のしかも卒業式や入学式といった特別な団体行事のときまで一個人の意志を貫いてもいいのですか?
どうにも腑に落ちませんね。団体行動が軍隊式というならば運動会や体育祭の入場行進もやめるべきだし、オリンピックの入場のとき団体で入ってくることもやめるべきです。詰襟の制服もやめるべきです。でもこれって異常ですよね。
どうにも多くの弁護士の人権意識って一般人よりも偏っているように思います。
Posted by: サトウ | September 23, 2006 06:42 PM
個人的には、旅行を除いてはまるっきり日本国内から出たことないけど、おおむね本文に賛成できるんですね。
要は、「掲げたい人が掲げ、歌いたい人が歌えばよいのです。」に尽きます。
第一、皆さん祝日(これも旗日っていうくらい日本語っていい言葉ですが。)に、自宅に日の丸を掲げていますか?まあ、多数の家がいいえと答えるはずです。けど、その家の人は日の丸を国旗と思っていないのでしょうか。これも、ほとんどの家がいいえと答えるはずです。
そうでなければ、スポーツの試合などで、日の丸を振り、君が代を歌って応援する多数の人がいることの説明ができません。
歌いたくない人は歌わなければよいのです。
個人的考えですが「起立や斉唱をしても内心で「クソッタレ日の丸、クソッタレ君が代」と思う」というのは、国旗・国歌に対して敬意を払わないそれこそ失礼な振る舞いと感じます。(実際そう思っているかはわからないわけですが)
それなら、そういう人には、感知しないという意思表示として、着席してもらうのがいいでしょうし、そう思う人が式典で演奏しないほうがよいと考えます。
以前問題になった都立高校の卒業式をテレビで取材していましたが、来賓の都議会議員が君が代斉唱の際に座っている生徒らに対して、「なぜ立って歌わない」と言っていました。
これは、歌う者・歌わない者双方に不愉快ですし、国旗・国歌というものを形式的にしか見ていない無礼な振る舞いと思いました。
以前天皇陛下が、東京都の教育委員の人だかに「強制にならないほうが望ましい」と発言していたように記憶しています。その意味するところはまさにこういうことだと思います。
世の中は前後左右に大きく偏っている人も包含して、うまく機能していくのですよ。偏る=悪ではありませんから。
Posted by: satorin | September 23, 2006 07:48 PM
「強制」という言葉にずれがあるような気がします。
生徒は、教室から逃げられないかもしれないが、いろいろな教員の考えに触れ、自分の考えや行動を選ぶ自由をもっています。「君が代」を歌う・歌わないことに対しての教員の指導により生徒という地位を奪われることはないのです。しかし、今回の例では、教員は「職を奪われる」という脅迫された状態において生徒に接することになります。その状態での生徒への「君が代」を歌うことへの指導はまさに「強制」だと考えられます。「教育」とは、ある一つの考え方に統一させることではなく、いろいろな意見(選択肢)の中から自らが選ぶ過程を支援することだと思うのですがどうでしょうか。私は、今回の判決を強く支持します。権力を振りかざして思うがままに教育を操ろうとしているのは、教員ではありません。国民・県民の税金で生活し、自分らのやりたい放題して(国民をだまして)いる、議員達ではないでしょうか。その理由は、次の3点にあります。
第1、 君が代・日の丸を国旗国歌と決めた法律が成立するとき、時の首相の小渕総理大臣は、これは、君が代・日の丸を強制するものではないと明言していました。そのことをわれわれ国民はもう忘れてしまったのでしょうか。小泉首相は、「公務員が、君が代を歌うことは当然だ」と話しをすり替え、自分の考えである君が代・日の丸を強制しています。なぜ、そのことに国民は何も違和感を覚えないのでしょう。不思議でなりません。
第2、 よく「国旗国歌を掲揚して厳粛に式を進めること」を学習指導要領に明記してあるという理由が君が代・日の丸の強制を正当化させようとする方々の口から出てきますが、学習指導要領は、あくまで教育の目安としてのものであり、法的拘束力を持たないはずです。日本は、いつから、法的拘束力を持たないものが最高法規の憲法を越える国になったのでしょうか?。
第3、 正確な日にちは忘れましたが、都の教育長が天皇陛下と会われて話しを交わされたときのことです。「私の目標は、都内の学校の卒業式で全ての参加者全員に君が代を歌わせることです。」というような発言のあとに天皇陛下は「そのようなことは強制になるのでおやめになったほうがよい」とお答えになったことを私も覚えています。
前の前の方が書かれているように日本は、「先生!これは思想信条の自由です。憲法に認められている人権だから○○を拒否します」と生徒が教師にいえる国なのです。すばらしいと思いませんか。このことを「すばらしい」と思えるのも、「いやおかしい」と考え議論できるのも、思想信条の自由が認められているからだと思うのです。もし、教員の思想信条の自由が認められなければ、生徒やその周りの人間は、自分の考えとは異なることを強制されても教員に異を唱えることができなくなるのですよ。むしろその方が怖い気がします。
Posted by: asitanotameni | September 23, 2006 09:58 PM
>前の前の方が書かれているように日本は、「先生!これは
>思想信条の自由です。憲法に認められている人権だから
>○○を拒否します」と生徒が教師にいえる国なのです。
>すばらしいと思いませんか。
>
少なくとも今回の裁判関係者がそのような生徒の自由を認めるとは思えないのですが?
あの有名な増田先生のAMLへのメールを読む限り,自分の思想信条の自由は振りかざしても,他人の思想信条の自由を認めなさそうですし.
したがって,「いろいろな先生の考え方に触れられる」ことと「異常な先生の支配する教室から逃げられない」の間にはものすごい距離があるように思います.
国旗・国家の強制は求めてはいませんが,公務員たる教員が思想信条の自由を振り回すことには強い違和感を覚えざるを得ません.
Posted by: nobu | September 23, 2006 11:21 PM
>公務員たる教員が思想信条の自由を振り回すことには
>強い違和感を覚えざるを得ません.
は、少しおかしいですね。
私たちは、彼ら公務員には「法に違反しないように働け」と法律で「義務」づけているわけです。確か採用されるときにも一筆取られてるはずですね。
国旗国歌法は、卒業式の方法まで決めているわけではないし、その上位にあって最高法規である憲法が、思想信条の自由を認めているわけです。で、法に違反している(と考えられる)命令を受ければ、拒否するのが当然というか「義務」です。
確かに違和感はよくわかるのです。ですけど、違和感というか好き嫌いで懲戒が決まってしまうというのは問題ですし、今回認めなかったわけですね。
私個人の気持ちは前に書いたとおりなので、微妙な違和感が私のもあるのは確かなのですが。
Posted by: satorin | September 24, 2006 12:06 AM
なるほど旗日,,確かに
祝日だからと日の丸を掲げる
集合住宅などで掲げたくても
出来ませんものね
君が代に異論を唱える公務員が存在するということは
日本の進歩につながりますわよ
過去の風習にしがみつく体制より
個人の意見を出す体制に生まれ変われば
政治経済も進歩するように
公務員だからこれもあれもだめって
公務員はお国のロボットなのが日本なんですか?
って気がしますけど
個人を尊重するアメリカから見ると
日本は本当になんでもかんでも
一丸となりたがるんですのね
日本の教師の皆さま
君が代や強制的な起立に異論をだして
拍手でございますよ~
個人のお気持ちまで殺して
皆がそうだからという
コケにしがみついているような
古臭い思想に従うほうが摩訶不思議ですから、、
(^^)//
Posted by: calwestcoast | September 24, 2006 12:59 AM
>彼ら公務員には「法に違反しないように働け」と法律で「義務」づけているわけです。
正確には、公務員には、「上司の職務命令には、従わなければならない義務」があると思います。その面から判断すると、都教委から出された通達のとおり、起立、斉唱に従わなければならない義務があるのかもしれないけれども、法は、そのようなことを義務づけてはいないし、ましてや起立、斉唱をしないことにより働くという生きるすべを失う制裁を加えることを求めてはいない。私は、今回の判決は、国旗国歌(あるいは、国家)への忠誠を強力なまでの圧力で求めさせようとする都教育委員会へあり方への批判も含まれているのではないかと考えます。今、求められている事は、『原告団が、なぜ「君が代日の丸」を称えることができないのか』や、『なぜ、政府や都教育委員会(もっと言うと石原都知事)は国旗国家への忠誠や教育基本法・日本国憲法の改定に躍起になるのか』を考える必要があると思うのですがどうでしょうか。私は、今回の判決を、戦前の軍国主義にひた走る日本への抑止力になったとして大いに評価したいし、山口弁護士が願われるように今後の東京高等裁判所においても、さらには、最高裁判所においても同様の判断が示されることを強く願っています。でなければ、calwestcoastさんがおっしゃるように、私もそんな日本には住みたくないですね。
Posted by: asitanotameni | September 24, 2006 01:17 AM
日本というお国は
縦社会ですものね
上司に逆らえば一般の会社でも
にらまれて後は,,シカトされ出世は
無いに等しいとか、
アメリカですと
例え部下でも上司のご意見に疑問を感じれば
ご意見や主張を述べてあたりまえの社会
主張を述べられないほうが、やる気あるわけ?
といわれる社会ですから
戦後何十年も過ぎてもいまだ
古臭い体制にしばれれつづけるなんて
それに不自然さを感じない
公務員などはアメリカから見たら
自ら喜んでお国のロボット立場を優先する
だけの、、見て見ぬふり
自分さえサラリーを確実にもらえれば
日本国が古臭いだろうが関係ないって
そういう人のほうが多い日本だから
いまだに起立を強制したり
歌いたくない君が代までどうこう言われたり
個人のお考えを述べるとご自分の立場が
危ぶまれるほうに重点を置く日本人はこれからも
増えつづけるでしょうね
君が代、、作詞作曲をされ方にはなんですが
なんか戦争を意味したような、、
わたくしは音楽的にも好きには
なれないです。
Posted by: calwestcoast | September 24, 2006 01:31 AM
asitanotameniさん:wrote
>このことを「すばらしい」と思えるのも、「いやおかしい」と考え議論できるのも、思想信条の自由が認められているからだと思うのです。
いや「議論」ができるのは表現の自由が認められているからです。もちろんその前提として思想信条の自由もみとめられていますが、直接の権利は表現の自由だと思います。思想信条の自由とは『内心においての』絶対的自由を保障しているものだからです。それがひとたび外部に表現されれば表現の自由の問題だと思います。
また、こういうときだけ天皇の言葉を利用するのもいただけませんね。あなた方は普段は軍国主義に導いた天皇(制)に反対の立場ではなかったのですか?天皇のお言葉である教育勅語も反対でしたよね?仮に天皇が「国旗国歌は強制してでも敬わせるもの」とでも言ったら(言うわけが無いと思いますが)あなた方は狂ったように批判するはずです。自分たちに都合の良いときだけ天皇の言葉を借りるのは卑怯です。
ただ、私も原則として国旗国歌が強制されるのはあまり良いことではないとは思いますが、以前から何回も注意を受けてもまた秩序を乱してでも頑なに国旗・国歌を拒否するあなた方を見ていると強制されるのもやむを得ないのではないかとさえ思います。自国の国旗・国歌さえ敬えない者がはたして他国の国旗・国歌を敬えますか?ま、日教組は中国の国旗は敬えるのでしょうけど。
そもそも、公立学校の教員は公務員だということにいい加減気づいてください。公務員である以上一般人とは違い制限される場合も多いでしょう。それが嫌なら初めから私立学校の教員になれば良かっただけです。
とにかく「権利」と「わがまま」を履き違えてはいけません。
どうにも一部の日本人は人権というものをもてあましているように思えます。そもそも欧米の人権という考え方をそのまま持ってくるのは無理があります。日本には日本にあった人権というものがあるはずです。既存の人権と日本の美徳とをうまく調和して日本流の人権というものを確立してもらいたいものです。
Posted by: サトウ | September 24, 2006 01:31 AM
サトウさん
別にここにいる人は、教師でもなければなんでもない単なるコメントを書いている人ですよ。それを「あなた方」という言葉で一絡げにするのは乱暴すぎます。
前の前の前くらいに出てますが、公務員に命令できるのは「違法でない職務命令」であって、今回は違憲だと言っているのですから、命令できないことを強要して裁判になったのです。そもそも裁判になるような命令をすることこそが日本的ではないのです。もっと穏便に済む方法はあるわけですし、それが和を以って貴しと為す日本の美徳であります。現に事を荒立て裁判になっているのは、記憶の中では東京だけです。しかもそれに血税が使われることについては、現段階では完全に東京都の判断誤りです。
ちなみに「人権」という言葉に「日本流」はないと思います。そんなことをしようと思えば日本は鎖国でもしなければならなくなりますよ。
Posted by: satorin | September 24, 2006 02:44 AM
山口氏のコメントは?
(/^^:)
Posted by: calwestcoast | September 24, 2006 10:32 AM
satorinさん:wrote
>別にここにいる人は、教師でもなければなんでもない単なるコメントを書いている人ですよ。それを「あなた方」という言葉で一絡げにするのは乱暴すぎます。
いえいえ、私はここにいる全ての人を指したのではなく、asitanotameniさんとその裏にいる人たちを指したのです。ですから(asitanotameniさん:wrote)と書いたのですが上手く伝わなかったようです。
というのも、asitanotameniさんの初めに書かれた文章は(http://www7a.biglobe.ne.jp/~hishobunshanokai/index.html)ここに書かれていることとまったく同じ文言だったのでてっきり被処分者=教員=asitanotameniさんたちだと思ったのです。
>そもそも裁判になるような命令をすることこそが日本的ではないのです。
いやいや、命令という形態はともかく内容は十分日本的だと思いますよ。要するに「内心はともかく、形式上は敬う形をとりなさい」というものなのですから形式を重んじる極めて日本らしい内容です。
あくまでも私見ですがこの命令は内心まで強要していないと思います。
また今回の強制は行き過ぎだと書きましたが、それ以前にこの教師たちの行動も行き過ぎではなかったのかという疑問もあります。
>ちなみに「人権」という言葉に「日本流」はないと思います。そんなことをしようと思えば日本は鎖国でもしなければならなくなりますよ。
日本流という意味はそのまま欧米の概念を受け入れるのでなく、良いところは見習い日本に合わないところは日本の伝統や美徳・道徳あるいは倫理観というべきものとの調和が出来ないかという意味です。こう言うと古臭いとか保守的だと思われるでしょう。しかしオールオアナッシングという意味ではありませんし鎖国にもなりません。受け入れないと言っているのではなく、「そのまま無批判に受け入れるのがはたして正しいのか」ということです。
日本の近代文化の初めは欧米の模倣でしたが、それを日本流にアレンジしたことにより世界から日本は良い意味で面白い国だと思われるようになったのですよね。つまりこういったことを人権でも出来ないかと思うのです。今のままではいつまでも欧米の模倣です(しかも昨今のフェミニズムなど勘違いが多い)。欧米の人権も日本人の気質にあうようにアレンジするのが日本流という意味です。欧米人の服はそのままでは日本人のサイズに合いませんし、また好みも違います。
たとえば、日本には中国や韓国ほどではないですが儒教というものの思想が根底にはあります。下は上を敬う。上は下の面倒を見る。しかしこういった日本の良い点さえ崩壊してきています(もちろん全て欧米の文化が悪いと言っているわけではありませんがその原因の一端はあるはずです)。だから親らしくなく一方で親と思わない子が出てきており、また教師も教師らしくなく教師を教師と思わない子が出てきているのです。
私は人権が無くても良いと言っているわけではありません。人権は非常に大切なものであることは理解しています。しかし、人権という美名の影に隠れて「わがまま」や「甘え」も人権として混同して見ていないかと考えるのです。これは自戒の意味もありますが、もっと日本人は人権とそうでないものの区別をつける目を養わなければいけません。今の日本人は何が人権に入り何がわがままかが区別がついていないように思えるのです。
私は人権という名の下に日本の大切な何かが失ってしまうので無いかと危惧します。
考えすぎでしょうか?
いえいえ、人権というものを強く押し出せば必然的にそうなります。なぜなら日本国憲法の人権は元々米国の考えであり、そのままその概念を日本人は無批判に受け入れているのですから。また他の方のレスによって今だに日本人には無意識的しろ米国コンプレックスが根強くあるというのもよく分かりました。
さて、もともと我々は考えの違う者同士ですからこれ以上議論しても答えは出ないでしょう。人様のサイトで他人同士がブログ主さんの頭を越えて議論するのも失礼ですからこれでひとまずここでやめておきます。
ただし、私はsatorinさん言っている事をしばし考えてみますので、satorinさんも私の抱いている危惧を少しでもいいので考えてみてくださいね。それでは。
Posted by: サトウ | September 24, 2006 01:54 PM
結果的に日本国とは
いつまでも過去にしきたりに拘るのを
国民が一丸となり遂行するのが
日本人と思い込んでいる
例えば
山口氏や紀藤のように左翼派弁護士が
存在することに危機感を持つ政治家さんも
多いでしょ、わたくしは左翼派が日本国には
いかに重要な存在なのか、、と日本を離れた
アメリカから拝見していると実によくわかりますの
左翼とは進歩的なお考えの方が
多いですものね、過去にしがみつく
一部の政治家発想はないですから、
日本の将来を本気でお考えになるので
あれば、過去にしがみつくばかりでは
毎年同じことの繰り替えしをして
行くだけ、君が代を反対する方が存在すると
いうことは今の時代にそんな陰気なお歌は似合わない
という意味もあるでしょうから、
数年間はまったく止めてみるとか
挑戦をされてみたらよろしいのに
卒業式だから歌うのがあたりまえって
ひとつのことに拘るその進歩の無さ
戦争放棄をしながら自衛隊もいまだに
銃も撃てないのにポリスは銃を保持とか
意味の無い義務感や政治だけがいまだに居残り
日本の皆さまなんか変でございますよ~
変と感じたからこそ君が代は歌わない
起立もしない、、それを深い意味で
お考えになれば、進歩につながることですけどね
左翼派とは石頭政治家や公務員にとっては
腫れ物とうわべだけでしか
お考えにならないようですけど
左翼派が日本に存在するということは
日本の未来を換える重要な存在という
ことに気がつかれない方も居るとは
それではいつまでたっても
靖国問題、君が代問題は毎年ただ議論だけで
終わってしまいますわね
後ろ向きさんが多い日本国
日本国ってなんでも
新しいことに対して実行される勇気が
あまりにも無さすぎ、、
Posted by: calwestcoast | September 25, 2006 03:46 PM
横から口を挟ませてもらってすいません。
通りがかりの者です。
あの、控訴して確定していないなら、判決って無視しても良いものなんでしょうか?(法律上)
なんか、都の教育庁はそういう方針らしいですけど、これって許されることなのかなぁと疑問なもので。
ほら、民事訴訟などなら仮執行宣言を貰って救済してもらえる方法もあるじゃないですか。
私、独学で法律を学んでいる者ですが、その辺がよく分からなくて。
もし、差し支えなければ、弁護士という専門家の立場から、ご意見をお聞かせいただけないかなと思います。
Posted by: S.H. | September 25, 2006 11:20 PM
君が代のお歌の意味
↓
http://osama.fweb.cc/?eid=158621
君=天皇
君=国民
この方のWebsiteではこのように、、
戦争敗北のイメージが強すぎて
Posted by: calwestcoast | September 26, 2006 09:44 AM
この先生たちは生徒が式典中に帽子を取らなくても
自由だからと許されるのでしょうか ?
来賓の挨拶のときに私語をしても
自由だからと許されるのでしょうか ?
こんなことで自由とわがままの違いが
教えられるのでしょうか ?
国歌の是非はそれなりの場所で語られるべきであって
生徒にとって一生に一度の場所である卒業式で
争われるべきではないでしょう。
自分の卒業式がこのようなイデオロギーの
主張の場に使われなかったことが今では
幸せに感じます。
ってゆーか自分の周りにはあんまり左巻きの
教師っていなかったんだけど東京ってこんなのばっかりなの ?
Posted by: 通りすがり | October 19, 2006 11:40 PM
Hello, I enjoy reading all of yojr article. I wanted to write a littlpe comment to support you.
Posted by: England on Wikipedia | July 24, 2014 04:02 PM