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「光市事件の死者は1.5人」 准教授の記述で青山大学長が謝罪

「光市事件の死者は1.5人」 准教授の記述で青山大学長が謝罪

4月25日22時33分配信 産経新聞

 青山学院大学(伊藤定良学長、東京都渋谷区)は25日、同大学の教員が個人HP(ホームページ)に記した記述が不適切だったとして、学長名義での謝罪文を大学HPに掲載した。

 問題となった記述は、国際政治経済学部の瀬尾佳美准教授(環境経済学)の個人HP内のもの。この中で「私は死刑廃止論者ではない」としつつも「少年に対する死刑には原則反対」と主張、山口県光市の母子殺害事件で殺人や強姦致死などの罪に問われた元会社員の被告(27)=犯行当時(18)=に死刑を科すのは重すぎるとして、「最低でも永山基準くらいをラインにしてほしいものだ。永山事件の死者は4人。対してこの事件は1.5人だ」「まったくの個人的意見だが赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうので『傷害致死』の可能性は捨てきれないと思っている」などと持論を展開した。

 さらに、被告弁護団に対する懲戒処分請求を呼びかけた現・大阪府知事の橋下徹弁護士について「大阪府知事なんかエロノックだって務まったくらいですから誰でもかまいません。ま、人間の廃物利用ってところでちょうどいいじゃないですか」と述べたり、差し戻した最高裁の判事の妻について「おそらく専業主婦で、TVばっかり見ていたため洗脳され、夫の仕事にも影響したのだろう」などと書き、ネット上で批判の声が上がっていた。

 この騒動を受け、伊藤学長は「当該教員の記述は適切でなく、また関係者のみなさまに多大なご迷惑をおかけしたことはまことに遺憾であり、ここに深くお詫び申し上げます」と謝罪、「今後このようなことが繰り返されることのないよう努めてまいります」とする声明を大学HPに掲載した。
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おそらく、青山学院に電凸でもして、「上司を呼べ!」みたいな対応を求めた人がいたのではないかと思いますが、大学当局は毅然とした対応をすれば良かったのだと思います。瀬尾佳美准教授の意見の是非はともかく、プライベートなブログの内容について学長が謝罪する理由も筋合いもありません。

ブログを見た人が批判をするのは当然だと思いますし、「人間の廃物利用」呼ばわれされた人がそれなりの対応を講じることはともかく、第三者が大学に圧力をかけるのはどうかと思いますし、大学がそれに屈するのもどうかと思います。学長として謝罪することは、瀬尾佳美准教授が論旨を撤回しない場合、何らかの処分の対象となりうることを前提としているのではないでしょうか?自由な議論を重視すべき大学のとるべき対応とは思えません。

ちなみに、問題となった瀬尾佳美准教授の記事のうち、「1.5人」、「先進国人というより中国人に近い」、「大阪府知事なんかエロノックだって務まったくらいですから誰でもかまいません。ま、人間の廃物利用ってところでちょうどいいじゃないですか」、「おそらく専業主婦で、TVばっかり見ていたため洗脳され、夫の仕事にも影響したのだろう」など、無神経、不見識ないしは差別的としか言いようがない表現はあるものの、当該記事の論旨について全体としてみれば、賛成するかどうかは別として、傾聴に値する一つの見識を述べているとは思います。

私は、法律家として、光市の事件は従前の実務基準であれば、死刑相当事案ではなく、無期相当事案であったと思いますし、仮に、赤ちゃんに対する関係で傷害致死しか成立しないのであれば、現在の最高裁の基準であっても無期相当の事案だと思いますので、死刑相当事案ではないという瀬尾佳美准教授の論旨が的外れだとは思いません。

New! 080427 13:24 若干の補足
⇒ 下線部を書き足しました。「全体として」は、瀬尾准教授のブログ全体ではなく、当該記事を「全体として」見ればという意味で書いています。瀬尾准教授のブログのその他の記事については、私の記事は言及していません。分かり難い書き方をしてしまいました。以後、気をつけます。

New! 080427 15:49 青山学院のHPを見直してみて、今更ながら、追加
青山学院の「本学教員のブログ上の記述に関する学長見解」コメントのうち、「今後このようなことが繰り返されることのないよう努めてまいります。」というのは、大学当局による検閲の予告でしょうか?大学がこんなことを公然と発表することの問題性をマスコミが取り上げないのが不思議です。

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【怒】安田弁護士に逆転有罪=ほう助罪で罰金50万円-強制執行妨害事件・東京高裁

安田弁護士に逆転有罪=ほう助罪で罰金50万円-強制執行妨害事件・東京高裁

 旧住宅金融専門会社(住専)大口融資先だった不動産会社の資産隠し事件で、強制執行妨害罪に問われた弁護士安田好弘被告(60)に対する控訴審判決が23日、東京高裁であり、池田耕平裁判長は一審無罪判決を破棄、ほう助罪が成立するとして罰金50万円を言い渡した。弁護側は即日上告した。
 池田裁判長は争点だった関係者の供述について、「核心部分は十分に信用できる」と述べ、被告の関与を認定。一審判決について「事実を誤認したと言わざるを得ない」とした。
 被告の犯意については、「強制執行を免れるための仮装の財産隠匿行為と認識していた」と判断。「差し押さえを困難にするばかりでなく、債権者からの追及をかわそうとする方策だった」と厳しく批判した。
 一方で、資産隠しは最終的に会社側が決断、実行しており、被告は助言する立場にすぎなかったとして、共謀の成立を否定。「ほう助犯の限度で罪責を負うにとどまる」とした。

時事通信 2008/04/23-21:06
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一応、安田弁護団の一員なので、当日、判決言い渡しを聞いていました。3時間50分は長いですが、「?」という疑問を和限りなく、脳裏において差し挟みながら弁護人席に座っていました。

全国の高等裁判所の中でも特に東京高裁の刑事部は検察官よりの判断をするところですが、ひどい判決でした。判決文はまだ当分の間手に入らないので(※)、入手し次第、もう少しコメントをするかもしれません。

(※)刑事事件の場合、判決文に基づく言い渡しをする必要がありません。判決文の入手は数ヵ月後になることも 珍しくはありません。

<刑事訴訟規則>
第35条 裁判の宣告は、裁判長がこれを行う。
2 判決の宣告をするには、主文及び理由を朗読し、又は主文の朗読と同時に理由の要旨を告げなければならない。
3 法第二百九十条の二第一項又は第三項の決定があつたときは、前項の規定による判決の宣告は、被害者特定事項を明らかにしない方法でこれを行うものとする。

<民事訴訟法>
第252条 判決の言渡しは、判決書の原本に基づいてする。

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児童買春・ポルノ:禁止法改正で自民・民主の議論本格化

児童買春・ポルノ:禁止法改正で自民・民主の議論本格化


コメントに代えて、以下は、法律新聞(2008年3月28日号)に掲載された私の論考です。
単純所持の犯罪化に対する私の見解の現時点におけるほぼ到達点です(※ほぼ=字数制限があったため)。
下線部などは、適宜付け加えたものです。
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児童ポルノの単純所持の犯罪化に反対する。

児童買春・児童ポルノ禁止法の改正を巡る議論が高まりつつある。今回の改正の論点は2つある。一つ目は、児童ポルノの単純所持の犯罪化であり、二つ目は、マンガやアニメ、ゲーム等、実在の児童を被写体とした創作物に対する規制である。二つ目の、創作物規制も表現の自由の観点から極めて問題の大きい規制であるが、今回の改正においては見送りの公算が高いこと、反面、自民党と公明党の与党は、単純所持の犯罪化の方針を固めた模様であることを踏まえ、本論稿においては、単純所持の犯罪化の危険性について論じる。
 単純所持の犯罪化は、「捜査当局による濫用の危険性」が懸念され、議論のたびに見送られてきた経緯がある。筆者もその懸念を共有している。
第一に、単純所持の犯罪化は、「児童ポルノ」について、覚せい剤等と同様の禁制品にするということであるがが、現行法における定義は、「衣服の全部又は一部を着けない」、「性欲を興奮させ又は刺激するもの」という主観的/曖昧な要件が含まれる。また、写真を見ただけで18歳未満かどうか年齢を判別することも困難である。現行法における「児童ポルノ」の定義は、二重、三重の意味において不明確であり、このように不明確な禁制品を創設することは、罪刑法定主義の理念に反する。ちなみに、単純所持を犯罪化している米国の定義は、「『未成年者の露骨な性的描写を含み、尚且つわいせつである。』または、『未成年と思われる人物の、異性・同性に限らず、性器間或いは性器と口或いは肛門と性器或いは口と肛門の接触を含む、獣姦・SM行為・交配行為で、尚且つ文学的・芸術的・政治的・科学的価値のないもの』」という具体的かつ詳細なものであり、しかも、「わいせつ」という強度の性的な刺激を要求し、かつ、「文学的・芸術的・政治的・科学的価値のない」という限定を加えて、表現の自由に対する配慮を十分に示している。わが国では、ヌード、セミヌードについても、「性欲を興奮させ又は刺激する」場合には、児童ポルノに含まれるが、米国の定義には含まれない。定義の違いを無視して、単純所持の犯罪化を議論することは明らかに間違っている。
 第二に、単純所持の犯罪化は、インターネットに接続する全ての市民を「犯罪者予備軍」にしかねない。例えば、スパムメールに添付されて画像データが送りつけられた場合にも所持は成立するし(消去したつもりでも、自動的にバックアップされる可能性もある)、インターネットサーフィン中に、偶然に児童ポルノ画像に辿り着いた場合でも、キャッシュという形でハードディスク内に保存され、「所持」してしまう危険性もある。また、誰かを社会的に抹殺するために、児童ポルノを郵便やメールで送りつけて通報したり、家族や同居人が所持していることを口実に、無関係の家族や同居人を共同所持を理由として強制捜査を行うことも可能になる。しかも、児童ポルノ事犯は破廉恥罪である。最終的に有罪判決を受けなかったとしても、身柄拘束され、報道された場合には、社会的な生命は抹殺されるに等しい結果となろう。
要するに、単純所持規制は、単に取締りの便宜という観点から、全市民を潜在的な犯罪者にしかねないものであり、その危険性は共謀罪と共通した問題点があると言える。
 これだけの弊害がある一方で、単純所持の犯罪化を必要とする立法事実は存在しない。推進派の論拠は、「児童ポルノがインターネットの普及で氾濫し、国際的な問題になっている。」(公明新聞 2008年2月19日)、「単純所持を禁止する理由としては、(1)児童ポルノの鑑賞は現実の犯罪を誘発する(2)児童ポルノの所持はポルノ制作者への金銭の移動を意味し、間接的に児童の性的搾取の支援になっている」(同)、「先進8カ国(G8)で単純所持を処罰対象としていないのは日本とロシアのみ。国際的な批判は免れない状況にある。」(同)というものである。
 しかしながら、インターネット上に「児童ポルノ」をアップしたり、他人に譲渡する等の提供行為は、児童ポルノ法7条により摘発可能である。現に、ネット上で流通している児童ポルノについて摘発できないのであれば、単純所持を規制したとしても取り締まりの実効性が高まる可能性は殆どない。
 また、犯罪誘発論については、「子どもポルノをオンラインで見るということと、(実際の子どもへの)接触犯罪を犯すということとの正確な関係ははっきりしていません(中略)」と(http://www.unicef.or.jp/special/0705/cyberporn04.html)、単純所持の犯罪化を求めている財団法人ユニセフ協会(紛らわしいが、国際機関ではなく、民間の財団法人に過ぎない)ですらも認めざるを得ないところである。
 さらに、児童ポルノ制作者への金銭の移動を阻止するのであれば、児童ポルノの有償取得を禁止すれば必要かつ十分である。
 最後に、「国際的な批判」云々はミスリーディングな議論である。「子どもの売買、子ども売買春および子どもポルノグラフィーに関する子どもの権利条約の選択議定書」、「サイバー犯罪条約」も単純所持の犯罪化を義務づけておらず、むしろ、弊害に対する懸念についての国際的な理解が存在すると言える。
単純所持は、流通の末端・終着点であり、新たな法益侵害は発生しない。流通させる意図がある所持については、提供目的の所持として処罰可能である。単純所持は、児童ポルノの製造行為や提供行為の結果として存在するものであり、所持は、製造や提供を前提とするので、現行法を厳格に適用すれば、新たな所持は根絶しうる。単純所持の犯罪化は、その効能自体が怪しい上に、全市民を潜在的な犯罪者にしかねないという副作用を持つ劇薬である。このような、劇薬(毒薬?)を用いずとも、児童の人権は守れる。児童ポルノ規制は児童の人権を守るための手段の一つであり、その規制が自己目的化してはならない。単純所持の犯罪化は不要である。

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