【パブリックコメント】第28期東京都青少年問題協議会答申素案に対する都民意見【青少年問題協議会の暴走を止めよう】
「第2章 児童を性の対象として取り扱うメディアについて」を中心に意見を述べます。
第1 総論
1 第28期東京都青少年問題協議会の委員の属性と偏見
http://d.hatena.ne.jp/killtheassholes/20091002
http://d.hatena.ne.jp/killtheassholes/20091003
http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/files/monndaihatsugen.doc
をご覧いただければ分かるように、第28期東京都青少年問題協議会の委員は、座長を始めとして、その品性、見識とバランス感覚を疑わせるような暴言、差別発言、偏見に基づく断言等を繰り返しているような方々が含まれております。
このような方々が作成した答申案自体、果たして、まともに検討すべきものなのか、あるいは、果たして、このような委員の方々に青少年の健全育成を論じる資格があるのかどうかが、まず、問われるべきです。
2 青少年健全育成制度の範疇からの逸脱への懸念
いわゆる青少年健全育成条例に基づく不健全図書指定制度等は、憲法上の人権の中でも最も重要な人権である表現の自由に対する重大な侵害ですが、
① 表現行為そのものではなく、表現の流通方法に対する規制にとどまる
② 18歳以上の者に対するアクセスを禁止するものではない
という2点に鑑みて、合憲であるという判断が示されているものです。青少年健全育成条例の合憲性を肯定した最高裁判例も、内容規制ではなく、時・場所・方法の規制であり、18歳以上の者に対する販売・流通が可能なこと、表現行為それ自体を問題視しないことを合憲判断の当然の前提にしています(平成元年9月19日最高裁第三小法廷判決も「成人に対する関係においても、有害図書の流通を幾分制約することにはなるものの」と流通規制の程度が弱いことを合憲判断の根拠としています)。
私は、「大人でも見てはいけない」という価値観を答申案に平然と盛り込んできたということに、非常に強い違和感を覚えたとともに、表現の自由に対してここまで無理解な面々を青少年問題協議会の委員として選任した東京都の憲法感覚と見識を疑います。
成人がいかなる情報・表現を発信・受容してよいか否かについてまで、行政機関が口を出すことは、明らかに、表現の自由を保障し、検閲を禁止した憲法21条の趣旨に反するものであり、かかる答申を青少年問題協議会が出すことそれ自体、憲法上大きな疑義があるものです。
3 表現の自由を尊重する姿勢の欠如
(1)本答申案においては、一貫して、表現、特に、実在の児童を被写体としない創作物について規制を必要とする根拠を真剣に検討するという姿勢が欠如しています。そこに存在するのは、具体的な根拠を欠く主観的な思い込み、規制先にあり気の姿勢であり、具体的な立法事実を吟味しようとする姿勢は微塵も見られません。
(2)表現の自由は傷つきやすく、一度侵害された場合には、容易に回復しがたい性質を持つ人権です。また、表現の自由は多数決をもってしても侵害し得ない権利であるからこそ、規制を必要とする理由と程度については慎重に吟味されるべきです。
規制を必要とする理由とは、具体的には、表現の自由の対立利益(人権)の存在のことであり、規制の程度は、対立利益を守るために必要最小限度の制約にとどめるということです。特に、表現行為そのものの規制については、特に慎重であるべきであり、せいぜい、表現の時・場所・方法について必要最小限度の規制にとどめるべきです。
(3)表現の自由は少数者のためのものです。憲法が表現の自由を保障している趣旨は、多数派の意思によって制定される法律(条例)によっても侵害し得ない権利を認めたものであり、少数派の表現の自由を保障することをまさに目的としています。今回の答申には、このような視点が欠落しています。
第2 「児童を性の対象として取り扱うメディアの現状を改善するための方策等」についての意見
1 児童ポルノの単純所持規制の問題点について
単純所持規制については、2004年の改正議論の際にも、「捜査当局による濫用」が懸念され、見送られてきた経緯があります。与党(当時)、規制推進派の方々はG8の中で単純所持規制を導入していないのは、日本とロシアだけと盛んに言われますが、「捜査当局による濫用」への懸念は我が国だけのものではありません。例えば、「子どもの売買、子ども売買春および子どもポルノグラフィーに関する子どもの権利条約の選択議定書」、「サイバー犯罪条約」も単純所持の犯罪化を義務づけておらず、むしろ、弊害に対する懸念が国際的に共有されていると言えるものです。また、我が国特有の事情、特に、児童ポルノの定義が広範かつ曖昧であるということも、捜査機関による濫用のリスクを考える際には考慮されなくてはなりません。
先ほど、単純所持規制の問題点には、「捜査当局による濫用」の懸念が存在し、その点は2004年の改正議論において持ち出されたということを述べましたが、これは以下のことを意味します。
「捜査当局による濫用」を大きく分けると、①捜査機関による恣意的な捜査の危険性、②でっちあげ/認識していない所持による冤罪の危険性の2つの懸念を上げることができます。
捜査機関による恣意的な捜査の危険性とはどういうことでしょうか?単純所持規制を導入するということは、「児童ポルノ」を禁制品(例:覚せい剤等)に指定するということを意味しますが、恣意的な刑罰から市民を守る罪刑法定主義(憲法31条)の観点からは、範囲が不明確な禁制品は創設されるべきではありません。実際、禁制品とされている覚せい剤や麻薬等については詳細な定義が法定されています。
しかしながら、児童ポルノの定義は、現行法においては、何重もの意味において不明確です。
第一に、現行の児童ポルノ禁止法は「児童」の定義を「18歳未満の者」と定義していますが、常識的に考えても、写真や画像から、年齢を判別することは、特に思春期以降の場合には非常に困難ですし、撮影者とは違い、単に所持している者は年齢を知らないし、知る術もないのが通常です。
第二に、現行法では、児童ポルノ禁止法第2条第3項第1号~第3号に児童ポルノの定義規定がありますが、同2号は「他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの」、同3号は、「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの」と規定しており、「性欲を興奮させ又は刺激するもの」という主観的な要件が入っています。「性欲を興奮させ又は刺激するもの」かどうかは、文脈やシチュエーションに依存する面も多くあります。例えば、子供が裸で遊んでいる写真を例にとって考えると、同じ写真が家族のアルバムにあるのと、あるいは、インターネット上の掲示板等でアップロードされているのでは、全く印象が異なります。加えて、第3号については、「衣服の全部又は一部を着けない」という要件もあり、水着、下着姿、半裸等を想定した場合により一層不明確であると言えます。児童ポルノについて、覚せい剤等のように科学的な分析による確定的な認定をすることは不可能なのです。
単純所持を規制しているアメリカは、この点について配慮をしており、連邦法典§1466A. Obscene visual representations of the sexual abuse of children(未成年者の性的虐待を視覚的に描写したわいせつ物)においてその定義として、「1未成年者の露骨な性的描写を含み、尚且つわいせつである」、または、「2未成年と思われる人物の、異性・同性に限らず、性器間或いは性器と口或いは肛門と性器或いは口と肛門の接触を含む、獣姦・SM行為・交配行為で、尚且つ文学的・芸術的・政治的・科学的価値のないもの」という非常に具体的な定義規定を置き、かつ、「わいせつ」という強度の性的な刺激を要求した上で、「文学的・芸術的・政治的・科学的価値のない」という限定を加えて、表現の自由に対する配慮を十分に示しています。この定義からすれば当然のことですが、わが国とは違い、単なる児童ヌード等は含まれないことになります。
単純所持を導入している国の立法例における児童ポルノの定義を検討することなく、単純所持を規制するという議論を先行させることには問題があります。現行の曖昧な定義のままで、児童ポルノの単純所持を規制することは、不明確な禁制品を創設することにほかならず、警察による恣意的な捜査、摘発を可能にしてしまいます。例えば、過去に適法に市販されていた写真集(あるいは、そのような写真を含む週刊誌などでも構いませんが)の所持等も摘発の口実となりえます。これが、2004年の改正議論時にも出た「捜査当局による濫用」への懸念です。
次に、でっちあげ/認識していない所持による冤罪の危険性を説明します。
端的に言えば、インターネットにつないでいるすべての日本人が「犯罪者予備軍」になり、いつ警察に逮捕されてもおかしくなくなってしまうということです。例えば、メールに添付されて画像データが送りつけられることが考えられますし(消去したつもりでも、自動的にバックアップされている可能性もあります)、インターネットサーフィン中に、偶然に児童ポルノ画像に辿り着いた場合でも、キャッシュという形でハードディスク内で「所持」してしまう危険性もあります。誰かを社会的に抹殺するために、児童ポルノを郵便やメールで送りつけて通報するということで、簡単に冤罪事件を作ることができます。
もう一つ、あまり議論されていない問題点が共同所持の問題点です。「所持(保管)」概念も日常用語とは違い、「事実上自己の支配下におくこと(自己の実力範囲内におくこと)」を広く意味します。児童ポルノを直接に管理していなくても、家族や友人等が児童ポルノを「所持(保管)」している場合に、「共同所持」を理由に強制捜査を行うことも可能になります。実際、単純所持規制を導入している薬物所持事犯ではよくあることですが、家族や同居人が所持している場合に、無関係の家族や同居人も共同所持を理由として検挙されることがあります。
これらの懸念例については、厳密に言えば、「故意」が認められないために犯罪にはならないことが多いと思われますが、捜査機関により自白を強要される危険性は存在しますし、身柄拘束され、報道された場合には、社会的な生命は抹殺されるに等しい結果となります。
また、国家権力が出版社やメディアに対する統制の手段として悪用することも考えられます。例えば、出版社であれば過去の刊行物の中に、児童ポルノと見做されかねない写真があるかも知れません、あるいは、メディアに取材資料としての児童ポルノがあった場合、あるいは、被取材者が持ち込んだ場合などに記者やスタッフに対する摘発も可能になります。
児童ポルノの単純所持規制は、単に取締りの便宜という観点から、全市民を潜在的な犯罪者にしかねないものですし、その危険性は民主党が導入に強固に反対している共謀罪と共通した問題点があると言えます。
鳩山前総務相は法務大臣時代にも共謀罪の早期成立を求めておられました。このような鳩山大臣の価値観からすれば、児童ポルノの単純所持規制に違和感を持たないことも当然なのかも知れませんが、このような見識は自由を基調とする我が国の体制とはそぐわないものです。
話題は変わりますが、忘れてはならないもう一つの懸念は、表現の自由に対する懸念です。「児童ポルノ」は、一般的にイメージされるように児童が性交等をしているもの、児童が性的虐待を受けているものに限定されません。「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」(いわゆる3号ポルノ)をも含みますから、ヌード、セミヌードを含む写真等一切、家族のアルバムに入っている写真、合法的に販売されていたヌード写真集、雑誌のグラビア等についても規制の対象となりえます。家族や恋人の写真、本人が同意しているセルフヌードも対象になります。過去に合法的に刊行され、流通してきた出版物の中には、児童の裸体等を含むものがたくさんあります。単純所持規制が導入された場合、これを所持する者、特に、出版社や古書店、図書館等は、立件されることを避けるために、「在庫」の確認を迫られることになります。先ほども申し上げたとおり、我が国においては、「児童ポルノ」の定義は、極めて曖昧です。何が禁制品か分からないという状況の中では、過去の文化的な蓄積の多くが廃棄されてしまうということにもなりかねません。
このように、単純所持規制については、数多くの弊害が懸念されるところです。
では、このような弊害の多い単純所持規制を導入する必要性はあるのでしょうか。財団法人ユニセフ協会等と一緒に単純所持規制賛成の論調を張る公明新聞は、「児童ポルノがインターネットの普及で氾濫し、国際的な問題になっている。」(公明新聞 2008年2月19日)、「単純所持を禁止する理由としては、(1)児童ポルノの鑑賞は現実の犯罪を誘発する(2)児童ポルノの所持はポルノ制作者への金銭の移動を意味し、間接的に児童の性的搾取の支援になっている――ことが挙げられよう。」(同)と述べています。
しかしながら、単純所持規制は、児童ポルノの氾濫への歯止めにはなりません。インターネットにおける児童ポルノの氾濫を止めるには、アップロード行為に対する取締りが必要ですが、インターネット上にアップロードする、他人に譲渡する等の提供行為については、児童ポルノ禁止法7条により規制されています。ネット上でアップされている児童ポルノについて摘発できないのであれば、単純所持を規制したとしても取り締まりの実効性が高まる可能性は殆どないというべきでしょう。
また、児童ポルノの鑑賞は現実の犯罪を誘発するという実証的な研究結果はありません。この事実は、「子どもポルノをオンラインで見るということと、(実際の子どもへの)接触犯罪を犯すということとの正確な関係ははっきりしていません(中略)」(http://www.unicef.or.jp/special/0705/cyberporn04.html)と、単純所持規制を求めている財団法人ユニセフ協会も認めざるを得ないことです。
なお、「性犯罪者の~%が児童ポルノを見ていた」という指摘がなされ、児童ポルノの鑑賞は現実の犯罪を誘発するという結論を導こうとする論調もありますが、これは意図的に市民を誤導する間違った議論です。性犯罪を犯すような人間が、自らの嗜好に適するような類の写真等を集めていても不思議ではありません。「原因=収集」、「結果=性犯罪」、という結論を導くことは、杜撰かつ恣意的な分析と言えるでしょう。
さらに、児童ポルノ制作者への金銭の移動を阻止し、間接的に児童の性的搾取の支援になることを防止するためには、単純所持規制を導入するのではなく、有償取得罪を創設し、児童ポルノの有償取得を禁止すれば十分です。
個人による単純所持は流通の末端・終着点であり、単なる所持だけでは、被害は発生しません(さらに流通させるつもりであれば、提供目的の所持として現行法で処罰可能です)。児童ポルノの製造行為や児童ポルノの提供の結果として単純所持は存在します。所持は、製造や提供を前提とするので、現行法を適用すれば、新たな所持は根絶することは可能です。
このように、児童ポルノについて単純所持規制を導入すべき必要性はないのです。他国では、単純所持規制の弊害に目を瞑ってもこれを導入しなくてはならない必要性があるのかも知れません。しかしながら、また、国際的に比較した場合、単純所持を規制していない我が国の治安は良好であり、性犯罪数の数が少ないという現実を無視してはなりません。我が国には、単純所持規制という劇薬を導入しなくてはならない、そこまでの事情は存在しないのです。
児童ポルノ規制は児童の人権を守るための手段の一つにすぎないことを忘れてはなりません。規制それ自体を自己目的化し、必要最小限度の規制の範囲を超えて、表現の自由や適正手続きの保障などを正当化する根拠にすることは間違っています。
単純所持規制を導入する必要性はなく、その弊害は限りなく大きいものです。単純所持の犯罪化には反対せざるを得ない所以です。
2 「児童ポルノを所持し楽しむことが「自由」とされていることにより児童ポルノがインターネット上等において蔓延していることについて」について
前述したとおり、インターネット上にアップロードする、他人に譲渡する等の提供行為については、現行の児童買春・児童ポルノ禁止法第7条により規制されています。ネット上でアップされている児童ポルノについて摘発できないのであれば、単純所持を規制したとしても取り締まりの実効性が高まる可能性は殆どないというべきです。アップロード元の特定の問題を単純所持規制の問題にすり替える規制先にありきの議論に過ぎません。
3 「単純所持の禁止は、需要(児童ポルノの所持)を抑えることにより供給(児童の性的虐待)を少なくすることができ、また被写体とされた子どもの苦しみの源であり、別の子どもの性的虐待に利用される児童ポルノの流通を防ぐこともできる。」について
前述したとおり、現行法によっても流通の規制は十分に可能ですし、所持は、製造や提供を前提とするので、現行法を適用すれば、新たな所持は根絶することは可能です。
また、児童ポルノの鑑賞は現実の犯罪を誘発するという実証的な研究結果もありません。
4 「ほとんどの欧米諸国で単純所持が禁止されており、G8で禁止していないのは日本とロシアのみである。」について
児童ポルノの定義や個別の国における刑事司法システムを問題にしないまま、単純所持の是非を論じることは無意味です。
また、前述した通り、「子どもの売買、子ども売買春および子どもポルノグラフィーに関する子どもの権利条約の選択議定書」、「サイバー犯罪条約」は単純所持の犯罪化を義務づけておらず、弊害に対する懸念が国際的に共有されているとも言えます。また、我が国特有の事情、特に、児童ポルノの定義が広範かつ曖昧であるということも、捜査機関による濫用のリスクを考える際には考慮されなくてはなりません。
5 「児童ポルノは子どもに対する虐待行為の結果であり、その所持を表現・出版・性的志向等の「自由」であるとして一律に容認することは、被写体とされた子どもの著しい精神的被害をそのまま放置し続けることである。」について
我が国の「児童買春・児童ポルノ法」による規制は広汎かつ曖昧であり、被写体となっている児童の人権を侵害しないものや行為も規制の対象となっています。
我が国の法制度においては、いわゆる淫行条例等による制約はあるものの、13歳以上であれば性行為を行うことは適法です。特に、女性は16歳で婚姻は可能であり、婚姻後は勿論、婚姻前の交際段階でも性行為を行うことは自由です。性行為の様子を撮影して、性的な刺激を得たり、後で、自分たちの行為の様子を見たり、あるいは、自分たちの行為の様子を撮影などして送信することは、まさしく、性行為の一環であり、公権力が介入すべきではない寝室の中のプライバシーの問題ですが、現行法では、30歳と17歳のカップルがお互いの性行為の様子を撮影して送信したり、あるいは、17歳が自分の裸や性的なポーズをとったりしている様子を撮影して送信すると摘発の対象になります。また、単純所持規制が導入されれば、これらの撮影した写真のデータを持っているだけで摘発されかねません。このような場合について、子どもに対する虐待行為が存在しないことも明らかです。実際、
⇒http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/304986/
カメラ付き携帯電話で自分の下半身を露出した画像を撮影し、出会い系サイトで知り合った男にメールで送信したとして、神奈川県警少年捜査課と大船署は、児童買春・ポルノ禁止法違反(単純提供)容疑で、千葉県の高校3年の17~18歳の女子生徒3人を24日に書類送検することが、県警への取材で分かった。(略)
という摘発が行われていますが、この撮影行為それ自体に「子どもに対する虐待」が存在しないことは明らかです。
また、宮沢りえをモデルとした写真集(Santa Fe)が17歳のときに撮影されたものであると仮定します。現行法では、同写真集を宮沢りえ自身が販売すると摘発の対象になってしまいますが、このような行為について、「子どもに対する虐待行為」が存在しないことは明らかです。
現行法は、あくまでも、児童に対する性的虐待行為、性犯罪行為を規制するという観点から、①児童に対する性的虐待行為(児童の性的自己決定権を侵害する行為)、性犯罪行為を映像として固定化し、これを流通させることの禁止、②撮影行使それ自体が、児童の性的自己決定権を侵害するもの(盗撮等)の禁止に限定し、風俗犯的な側面を払拭するという全面的な見直しを必要としており、この点に関する議論をせずに、単純所持規制の導入だけを求めることは無意味です。
6 「児童を性の対象として扱うこと、性的に搾取・虐待することは決して許さないという都の姿勢を条例等で明確に示すべきである。具体的には、児童を性的対象とする行為等の追放・根絶に向けた機運の醸成と環境整備に努める責務規定などを設けるべきである。」について
児童を「性的に搾取・虐待することは決して許さない」という都の姿勢を条例等で明確に示す」こと自体に異論はありませんが、わざわざ当たり前のことを東京都の条例に定めること自体に違和感があり、他の意図があるのではないかと疑わざるを得ません。仮に、都の姿勢を示す場合には、懸念を払しょくするために、実在する児童を被写体としない創作物は対象外であること、また、特定の性的嗜好を否定的に扱うものではなく、実際に性的に搾取・虐待する行為を許さないと宣言するものであることを明確にすべきです。間違っても、性的な出版物の即売会等に会場を貸さないための口実に使われるようなことがないように注意すべきです。
繰り返しますが、我が国の法制度においては、13歳以上であれば性行為を行うことが想定されています。したがって、「児童を性の対象として扱うこと」を決して許さないという都の姿勢を条例等で明確に示すことは、現行の法律との整合性が問題となり、憲法第94条が「法律の範囲内」で認めた地方自治体の条例制定権の範囲を逸脱する危険性もありますし、また、このような規定を条例に置くこと自体が、児童の性的な自己決定権を侵害しかねないものであり、賛成できません。
7 「児童ポルノに係る被害者の支援に関する都の責務を条例において明らかにし、児童やその関係者が相談しやすい体制の確保、プロバイダ等への削除依頼要請の代行、ネット上の児童ポルノ削除等に関する事業者への働きかけの推進等を実施する。」について
「児童ポルノに係る被害者の支援に関する都の責務を条例において明らかにし、児童やその関係者が相談しやすい体制の確保」については異論はありませんが、「プロバイダ等への削除依頼要請の代行、ネット上の児童ポルノ削除等に関する事業者への働きかけの推進等を実施する。」については、現行の児童ポルノの定義が曖昧であることに鑑みて、表現の自由に対する過度の制約になる可能性があり、憲法21条に反するため、反対します。
8 「児童ポルノ単純所持の処罰化について国に強く要望すべきである。」について
前述したような単純所持規制の弊害に鑑みて反対です。
9 「被写体となる子どもの多くは保護者の意向によるものと考えられ、児童虐待と同程度に社会的に許されない行為である。」について
全てはそのとおりとは言いませんが、答申案の指摘どおり、児童の性的自己決定権を侵害し、児童虐待行為と同視しうるものもあることには同意します。この点については、現行法を、児童に対する性的虐待行為、性犯罪行為を規制するという観点から見直すに際し、規制の方法を考えるべきです。
10 「ジュニアアイドル誌についても追放・根絶の対象として扱い、条例上の販売自主規制の対象化、子どもを被写体として売り込む保護者への指導・勧告等について検討すべきである。」について
行政が特定の表現行為について、追放・根絶を呼び掛けることは、それ自体が表現の自由を著しく侵害する危険性がある行為であり、基本的には、憲法21条が保障する表現の自由を侵害するものと考えられます。これが許されるのは、表現の自由と対立する人権が存在する場合、すなわち、表現行為が特定人の人権を侵害する場合に、必要最小限度の規制が許されるというべきです。したがって、いわゆる「ジュニアアイドル誌」という抽象的な分類の仕方をするのではなく、被写体とされている児童の性的な自己決定権が侵害されているもの、あるいは、撮影行為それ自体が児童の自己決定権の範疇を超えて、人権侵害と言えるものについてのみ、かかる対応の対象となるよう制度の枠気味を工夫し、児童を利用した表現行為一般が委縮することがないよう、議論を尽くすべきです。
特定の表現行為の追放・根絶を呼び掛けることは、青少年健全育成条例の範疇を超えるものです。青少年健全育成条例による規制は、内容規制ではなく、時・場所・方法の規制にとどまり、18歳以上の者の表現へのアクセスを強度に制約しないからこそ、合憲性が認められるものであることを念頭に置いた議論がなされるべきです。
11 「国に対し、児童ポルノ法の改正等、ジュニアアイドル誌の規制についても取り組みを要望すべきである。」について
10と同様の意見です。
12 「児童ポルノ法で禁止対象とする『児童ポルノ』から漫画等が対象外とされたのは、『実在する被写体とされた子どもがおらず、権利侵害がなされていない』というのが理由である。しかし、子どもを強姦する等の極めておぞましい子どもに対する性的虐待をリアルに描いた漫画等の流通を容認することで、児童を性の対象とする風潮が助長される。」について
何らの根拠もない推論に過ぎません。
13 「児童を性的対象とした漫画等の多くは幼児・小学生とされる児童が積極的に性的行為を受け入れる描写が見られ、大人がこうした漫画等を子どもに見せて性的虐待を行う危険性も大きい。」について
何らの根拠もない推論に過ぎません。
14 「諸外国の状況」について
創作物規制の問題点については、16において詳述するとおりです。
指摘されている国々においても、表現の自由に対する侵害ではないか、という議論が起こっており、無批判に規制が受容されている訳ではありませんし、外国の立法例が規制を正当化する根拠となるものでもありません。
15 「内閣府『有害情報に関する特別世論調査』によると、国民の86.5%が実在しない子どもの性行為等を描いた漫画等を規制することに賛成だが、具体化の動きは見られず」について
この世論調査は、調査の手法に大きな問題点があり、予め規制強化を求める意見を導き出すように巧みに仕組まれており、調査の結論には何の信用性もありません。
「有害情報に関する特別世論調査」の概要第6頁は、「(資料5を提示して、対象者によく読んでもらってから質問する。)」となっておりますが、その(資料5)の内容は、
【資料5】
近年、子どもたちに悪影響を与える恐れのある以下に示すような情報(「有害情報」と言います。)が多くなっています。
① わいせつ画像などの性的な情報
② 暴力的な描写や残虐な情報
③ 自殺や犯罪を誘発する情報
④ 薬物や危険物の使用を誘発する情報 など
雑誌、DVD、ビデオ、ゲームソフトなどの有害情報に対しては、現在、ほとんどの都道府県で条例により、有害図書類等の指定や青少年への販売禁止などの制 限がありますが、罰則が弱い、各都道府県により規制がばらばらであるなどの指摘があります。また、インターネットの世界でも通信事業者やネットカフェ業者 による自主規制などが行われていますが、業界団体に属していない業者は規制の対象外となっています。子どもがインターネット上の有害情報に携帯電話等でアクセスして被害にあうケースも増えています。
となっており、内閣府が期待している結論(規制強化)を導くために露骨過ぎる誘導質問(誤導質問)となっていること明らかです。しかも、その手法は、個別面接による対面調査であり、規制に伴うリスク(表現の自由の侵害)についての説明は漠然的かつ抽象的なものにとどめられています。
このように、「有害情報に関する特別世論調査」は、規制に慎重な意見を出し難いように構成されており、その結果の信用性は乏しいものです。
また、「子どもたちに悪影響を与える恐れのある」の存在自体が自明ではなく、議論のあるところです。むしろ、「有害情報」などは存在しない可 能性の方が高いのです。不確定な事項をあたかも確定的な前提事実であるかのように装って質問をすることは明らかに回答者を誤導する確信犯的に欺瞞的な質問であると言えます。このような世論調査は、結論先に有りきの世論調査により、世論を誤導しようとするものであり、税金の無駄遣いなだけではなく、有権者への裏切りとも言えるものです。
仮に、この世論調査の結果が信頼のおけるものであったとしても、多数派が制定する法律により、少数者の表現の自由が制限されるのであれば、わざわざ、憲法上、表現の自由を保障する意味はありません。憲法が表現の自由を保障している趣旨は、多数派の意思によって制定される法律(条例)によっても侵害し得ない権利を創設したものであり、少数派の表現の自由を保障することがまさに目的です、規制を求める多数派の意思の存在は、表現の自由に対する規制を正当化する根拠とはなりません。
16 「都においては、少なくとも児童に対する性行為等を写真やビデオと同程度にリアルに描写した漫画等については、可能な限り早期に何らかの規制が行われるよう、国に要望するべきである。」について
漫画等の創作物の規制については、単純所持の犯罪化以上の問題点が存在します。単純所持の場合には、まだしも、被写体とされている児童という被害者が存在しますが、創作物のキャラクターは、どんなに性的の虐待対象とされていようとも被害者ではありません。映画や小説の中の犯罪行為に実際の被害者が存在しないのと同じ理屈です。これを混同する議論こそ、「現実と空想を区別しない」ものとして、排斥されるべきです。
犯罪への欲望と犯罪行為を同一視することは許されません。描写されている児童との性行為が犯罪であるとしても、児童に対する性的な欲望そのもの、あるいは、これをファンタジーとして受容することは犯罪ではありません。近代国家である以上、この原則を動かすことは出来ません。犯罪への欲望を自己の内面に留めずに、他人が受容しうる表現にした場合も同様です。犯罪を誘発する俗説に反し、実在の児童を被写体とする児童ポルノ、あるいは、実在の児童を被写体としない創作物が現実の性犯罪、性的な虐待を誘発し、性犯罪、性虐待を容認する風潮を助長する根拠は存在しません。実際、創作物規制を導入していない我が国の性犯罪の件数は、規制の厳しい他国と比べても少ないです。
仮に、創作物の規制を導入した場合、実在しないキャラクターの年齢が問題になります。実在の児童が被写体となっている場合には、児童の特定が出来なくても、小児科医等の専門家の鑑定により、18歳未満かどうかの客観的な判断はかろうじて可能です。しかしながら、実在しないキャラクターには、設定上の年齢しか存在せず、年齢の設定がないこともあり得ます。人間ではなく、数千歳の宇宙人、年齢の存在しないアンドロイドという設定もあり得ます。結局、「見た目」で判断するしかなくなるが、客観的な判断基準は存在しないため、捜査機関による恣意的な判断を回避する方法はなく、創作活動に対する捜査機関の自由な介入を許してしまうことになりかねません。
さらに、「見た目」を基準として規制を問題にする以上、18歳以上の者が18歳未満であるという設定で登場、出演する表現物についても規制すべきとの議論が巻き起こることは必至です。実際、日本ユニセフ協会等は、同種の主張をしています。しかしながら、これでは、同じ20歳の役者が出演している場合であっても、見た目が若く見える人の場合には、摘発の対象となってしまいますが、これは、容姿、外見による差別に他なりません。
創作物規制は、憲法21条で保障された表現の自由に対する制約に他なりませんが、規制を正当化する対立利益(人権侵害)はどこにも存在せず、憲法21条に違反します。容姿、外見による差別に繋がる可能性もあり、個人の尊厳の尊重を定めた憲法13条にも違反します。憲法や表現の自由を持ち出す以前に「空想と現実を区別しない妄論」であり、常識にも反します。妄論が正論として罷り通りそうな国際的なマス・ヒステリアが存在するのであれば、冷静な検討と議論を呼びかけるのがコンテンツ産業大国である我が国の役割であると考えます。
17 「子どもを強姦する等著しく悪質な内容のものについては、条例上の不健全図書基準に追加するとともに、自主規制団体に表示図書とするよう働きかけるべきである。」について
現行の条例で十分に対応可能ですから、敢えて規定を設けることには反対です。
18 「児童を性的対象とする内容の漫画等で写真やビデオと同程度にリアルに描写したものや強姦等著しく悪質なものは、一般人のアクセスも制限する取り組みや、インターネットからの削除等を関係業界に働きかけることが適当である。」について
創作物規制の問題点については16において詳述したとおりです。
成人がいかなる情報・表現を発信・受容してよいか否かについてまで、行政機関が口を出すことは、明らかに、表現の自由を保障し、検閲を禁止した憲法21条の趣旨に反するものです。東京都がかかる働きかけを行うこと自体、表現の自由に対する著しい侵害であり、表現の自由を保障した憲法21条に反するものですし、また、基準が非常に曖昧であり、恣意的な運用が可能であるという点に鑑みても、表現の自由に対する著しい委縮効果が予想され、この観点からも憲法21条に反するというべきです。
以上
(携帯規制についてはまた、別途起案中です。)