「戦争法案」というレッテル貼りは、反対派陣営の「議論力」の衰退の表れ
「戦争が出来ない国」と「戦争をしない国」は違います。
「戦争が出来ない国」は「戦争に対応できない国」であり、「戦争の当事者にならない国」ではありません。
「勝てる戦争ならOK」と考える国が存在する現状では、「戦争に対応できない国」の方が、戦争に巻き込まれやすいのは自明です。
この理屈は、小学生でも分かることです。
故に、「集団的自衛権」に関する各種法案について、「戦争法案」というレッテル貼りをしたことは、出来の悪い「ワンフレーズポリティックス」以外の何物でもなく、明らかに、ミスリーディングなものです。「戦争法案」というレッテル貼りは、代表民主制下における「民意」の代表者であることを否定し難い巨大与党の態度を頑なにさせただけでした。
「戦争法案」というレッテル貼りは、集団的自衛権反対陣営の「議論力」の衰退を示すものです。立法府における少数派陣営の「議論力」の低下は深刻です。多数決において勝利し得ない少数派が多数派を説得し、自らの主張を通し、あるいは、一部なりとも反映させる唯一の方法は「議論力」だからです。
自らの信ずる正論(竹やり?)で「突撃」し、玉砕することは野党政治家の使命の放棄です。
このように、「集団的自衛権」を巡る議論を混乱させ、「強行採決」に至らせた原因の一端は、説明責任を尽くさず、また、憲法上の疑義をはぐらかし続けた与党側だけではなく、「戦争法案」というレッテル貼りをして、結論先にありきな反対論を展開し、巨大与党側が譲歩しにくい状態を作ってしまった方々にもあると思います。
この過ちは秘密保護法反対運動に際しても犯されています。結果、国家機密と国民の知る権利のバランスをいかにして図るのかという本来であれば避けて通ることが出来ない重要な論点について、十分な検討と議論をする機会が失われてしまいました。そして、非常に問題の大きい秘密保護法が制定されてしまいました。学習能力のなさには驚きます。
今回、「集団的自衛権」の真偽に際し、例えば、
1 国際情勢の変化に鑑みて、現行よりも自衛隊の活動可能な範囲を広げる必要性があるか否か?
2 与党が提案した「集団的自衛権」を現行憲法の解釈下で許されるような形で修正することは出来ないか?
という視点で論点を整理した上で、議論をしていれば、憲法9条2項と国防について冷静かつ有益な議論が出来た筈です。そして、現行の憲法9条2項のままでは国防の責任を政府が果たすことが出来ないという結論ならば、憲法9条2項改正に向けた議論を開始すれば済む話ではなかったでしょうか?
私は、衆議院で可決された「集団的自衛権」関連の法案について、合憲性に関する疑義が否定できないと考えていますし、議論が尽くされないまま採決に至ったことを残念に思っています。「集団的自衛権」関連の法案について以前は、明らかに違憲であると考えていましたが、憲法上の疑義が否定できないという立場に考え方が変わっていることを付言させて頂きます。