Posts categorized "表現規制(差別表現、ヘイトスピーチ)"

ヘイトスピーチ規制/差別表現規制は、マイノリティからも表現の自由を奪う!

私は、ヘイトスピーチ規制や差別表現規制に反対です。特定人を名宛人にしないヘイトスピーチ、差別表現に対する規制は、表現の自由に対する重大な脅威であると考えています。

理論的な反対については、以下の記事をご参照下さい。

ヘイトスピーチや差別表現に対する法規制が、特定の集団による恣意的な言論弾圧を正当化するために使われる危険性があることは、以下の、過去記事をご参照下さい。

「集団的人権論」に対する反駁 


もう一つ、現実的な理由を挙げます。

「マイノリティーが不安に脅かされることなく暮らせる自由」を根拠に表現規制を認めると、「日本人が誇りと尊厳を侵害されることなく暮らせる自由」を根拠に、マイノリティーの表現が弾圧されるのは時間の問題です。靖国神社や天皇制に対する抗議活動など、一発でアウトになるのではないでしょうか。

冷静に考えてください、マイノリティーの多くは参政権を有しない外国籍の方々です。立法権へのアクセスでは不利です。多数決で物事が決まる政治の場では、参政権を有するレイシストには勝てません。多数決原理を通じて、少数者の権利が確保されると考えるのは楽観的すぎます。少数者の権利を守るものは、多数決によっても侵害し得ない「表現の自由」以外にはありません。マイノリティーこそ、「表現の自由」を大事にすべきであり、例外を認めることには慎重であるべきです。何故、ヘイトスピーチ規制派は、そのリスクに気がつかないのでしょうか?想像力が不足しているとしか思えません。

それとも、国連が何とかしてくれると思っているのでしょうか?歴史を鑑みるに、日本政府が国連の勧告を重視しているとは思えません(国連からの勧告が不当なことも多いので、一概に日本政府の対応に問題があるとは言えませんが。)。

特定個人の権利・利益を侵害しない表現は規制しない、あるいは、明白かつ現在の危険のない表現は規制しない、という「建前」は、マイノリティーにとってこそ重要なものだと思いますが、どうなんでしょうか?法は、ヘイトスピーチや差別発言について、「発信者」が誰かで区別は出来ないでしょう。それこそ、「性」や「人種」、「民族」等の「属性」に基づく表現行為の制限=「差別」に他ならないからです。これは、憲法14条の平等権に反します。

つまり、ヘイトスピーチ法制は、「発信者」が誰かを問うことなく、「性」や「人種」、「民族」等の「属性」に対するヘイトスピーチについて網羅的に規制するものにならざるを得ません。マイノリティーのマジョリティーに対するヘイトスピーチ、差別発言も規制の対象とならざるを得ないのです。

一例として、「朝鮮人出て行け!」がヘイトスピーチになるなら、「米軍兵士は出て行け!」、「ヤンキー、ゴーホーム!」も理論的にはヘイトスピーチになる筈です。

表現は、マイノリティーにとっても、いや、力の弱いマイノリティーにとってこそ、重要な武器である筈です。ヘイトスピーチ規制や差別表現規制は、マイノリティからも表現の自由を奪うものです。

| | Comments (23) | TrackBack (0)

平成25年10月7日京都地方裁判所判決(朝鮮学園vs在特会外)をどう読むか?

平成25年10月7日京都地方裁判所判決について、様々な議論がネット上で行われているようですが、判決の内容を纏めると以下のようなものです。

(在特会らによる示威活動、映像公開の違法性について)
いずれも、業務妨害、名誉毀損の成立により違法性を認定するという従前からの判断枠組みを維持しています(判決文68頁「2」、同69頁「3」、同70頁「4」、同71頁「5」参照。

(人種差別撤廃条約の効力について)
このように、人種差別撤廃条約2条1項は、締結国に対し、人種差別を禁止し終了させる措置を求めているし、人種差別撤廃条約6条は、締結国に対し、裁判所を通じて、人種差別に対する効果的な救済措置を確保するように求めている。これらは、締結国に対し、国家として国際法上の義務を負わせるにとどまらず、締結国の裁判所に対し、その名宛人として直接に義務を負わせる規定であると解される。このことから、わが国の裁判所は、人種差別撤廃条約上、法律を同条約の定めに適合するように解釈する責務を負うものというべきである(判決文66頁「4」参照)。

(ヘイトスピーチそれ自体が不法行為となることは否定)
もっとも、例えば、一定の集団に属する者の全体に対する人種差別発言が行われた場合に、個人に具体的な損害が生じていないにもかかわらず、人種差別行為がされたというだけで、裁判所が当該行為を民法709条の不法行為に該当するものと解釈し、行為者に対し、一定の集団に属する者への賠償金の支払を命じるようなことは、不法行為に関する民法の解釈を逸脱しているといわざるを得ず、新たな立法なしに行うことはできないものと解される。条約は憲法に優位するものではないところ、上記のような裁判を行うことは、憲法が定める三権分立原則に照らしても許されないものといわざるを得ない。(判決文66頁「5」参照)

⇒ 特定人の権利を侵害しないヘイトスピーチは不法行為とはならないことを明言しています。

(不法行為となるヘイトスピーチ=具体的な被害者のいるヘイトスピーチについては、損害額が加算されるべき)

したがって、わが国の裁判所は、人種差別撤廃条約2条1項及び6条の規定を根拠として、法律を同条約の定めに適合するように解釈する責務を負うが、これを損害賠償という観点からみた場合、わが国の裁判所は、単に人種差別行為がされたというだけではなく、これにより具体的な損害が発生している場合に初めて、民法709条に基づき、加害者に対し、被害者への損害賠償を命ずることが出来るにとどまる。

⇒ 繰り返し、特定人の権利を侵害しないヘイトスピーチは不法行為とはならないことを明言しています。

しかし、人種差別となる行為が無形損害(無形損害も具体的な損害である。)を発生させており、法709条に基づき、行為者に対し、被害者への損害賠償を命ずることが出来る場合には、わが国の裁判所は、人種差別撤廃条約上の責務に基づき、同条約の定めに適合するよう無形損害に対する賠償額の認定を行うべきものと解される。

やや敷衍して説明すると、無形損害に対する賠償額は、行為の違法性の程度や被害者の深刻さを考慮して、裁判所がその裁量によって定めるべきものであるが、人種差別行為による無形損害が発生した場合、人種差別撤廃条約2条1項及び6条により、加害者に対し支払を命ずる賠償額は、人種差別行為に対する効果的な保護及び救済措置となるような額を定めなければならないと解されるのである。(判決文67頁「6」参照)

| | Comments (92) | TrackBack (0)

【石原慎太郎】姜尚中氏の福岡応援に石原知事反発 「怪しげな外国人」【問題発言】

姜尚中氏の福岡応援に石原知事反発 「怪しげな外国人」

 五輪の国内立候補都市を巡り、石原慎太郎・東京都知事が、福岡市の応援演説をした姜尚中・東大教授に激しく反発、「怪しげな外国人」などとかみついた。

 姜教授は演説で「金持ちの、金持ちによる、金持ちのためのオリンピックで、世界に勝てますか」と東京を批判。すると、続く東京側のプレゼンテーションで石原知事が「さっき、どこか外国の学者さんが東京は理念がないとおっしゃっていた。何のゆえんだかわかりませんが」と発言。その後の祝賀パーティーのあいさつでも「怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは」などと述べた。

 姜教授は在日韓国人2世で、熊本で生まれ育った。

朝日新聞 2006年08月30日23時44分
---------------------------------------------

石原慎太郎都知事の問題発言に慣れっこになり、問題意識が鈍磨しつつある感もありますが、今回の発言について言えば、
①首都の知事としての立場による公の場での発言であること
②姜尚中東京大学教授の名誉を毀損していると思われること
③外国人差別を含む発言と認められ、人種差別撤廃条約にも違反していると思われること

と非常に不見識かつ問題の大きい発言です。

オリンピックを招致しようとしている自治体のトップとして、また、日本の首都である東京の知事として、非常に、不見識なだけではなく、誘致に向けて「マイナス」にしかならない問題発言だと思います。

今回の発言は、明らかに、姜尚中東京大学教授個人を特定していますから、単に政治的な責任の追及に止まらず、訴訟を提起された場合には、苦しい結果になるのではないでしょうか。

(参考過去記事)
石原知事「ババァ」発言、女性たちの賠償請求棄却

⇒ 今回は、特定の個人が相手ですから、相手方の特定が困難な「ばばあ発言」などと異なって、裁判での責任追及を行なっても、表現の自由との関係ではさほど問題はないと考えます。

⇒ また、私は、ヘイトスピーチ(人をその人の人種や民族、宗教、性別、性的指向を理由に貶めたり暴力や差別的行為を煽動するような言動)に対する法的な規制については、否定的な立場ですが、今回の石原都知事の発言は、特定の個人に対する名誉毀損ないし侮辱行為として、少なくとも従前からの民事上の不法行為の枠内で責任追及が可能ではないかと思います。

| | Comments (110) | TrackBack (2)

イスラムの預言者風刺漫画とホロコースト風刺漫画

ホロコースト風刺画コンテスト開催=「表現の自由」に当て付け-イラン紙

 【カイロ7日時事】イラン紙ハムシャハリは7日、「表現の自由の限界を試す」ため、ホロコースト(ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺)を題材にした風刺漫画のコンテストを行うと発表した。ロイター通信が伝えた。
 イスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画が欧州紙に掲載された問題で、各紙が表現の自由を理由に掲載を正当化していることへの当て付けだ。優秀な12作品の作者にはそれぞれ約1万7000円の賞金を出すという。 
(時事通信) - 2月8日1時1分更新

 いささかネタとしては、古いのですが、表現の自由の本質をついている事件なので取り上げました。

 私はホロコースト否定論者ではありませんし、ホロコースト否定論を初めとする歴史修正主義については批判的な立場です。しかしながら、今回、「ホロコースト否定論」を初めとする「ヘイトスピーチ」を法により禁圧化してきた西欧諸国がイラン紙ハムシャハリに「一本取られた」ことはいささか痛快に感じています。
 イスラムの預言者を風刺することを「表現の自由」の名において認める以上、ホロコーストについて否定する議論についても「表現の自由」を認めることは当然のことだと思いますし、これを否定することはダブルスタンダードのそしりを免れないでしょう。
 西欧諸国にとって、表現の自由の対立利益は、「集団の人権」ではありえず、「個人の人権」でしかありえないという表現の自由に関する原点に立ち戻って考えれば、直すよい機会だと思いますし、わが国に「ヘイト・スピーチ」規制を持ち込もうとしている人たちも、表現の自由の意味を今一度考え直して頂きたいと思うのです。

 西欧の新聞社各社は、イラン紙ハムシャハリに掲載されるであろう「ホロコーストの風刺漫画」を掲載し、報道することが出来るか。表現の自由の真価が試されるときです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)