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【著作権法】著作権法違反被疑事件で不起訴処分3件

久しぶりの更新になります。何とか、1年間のブランクを空けずにすみました。

私が刑事弁護人をしていた、3件の著作権法違反被疑事件について、今年の3月中にいずれも不起訴処分(嫌疑不十分)になりました。処分をしたのは、北陸の某地検の支部です。

示談はしていません。警察、検察官と正面から著作権法の解釈についての議論を戦わせ、勝ちえた結論です。

3件ともブログの記事を巡るものです。告訴人の背景には某宗教団体が見え隠れしている事案でした。

告訴の動機は明らかに言論弾圧です。

本来であれば、名誉毀損なり、業務妨害なりで告訴すべきところでしょうが、記事の内容は全て事実です。下手な告訴は墓穴を掘ります。そこで、表現内容の真実性を問題にしなくても済む、著作権法違反で告訴してきた訳です。

今回の事件では、警察は家宅捜索をしています。逮捕こそされてはいませんが、大勢の警察官が自宅や職場に来て、書類やらパソコンやらを押収しています。一市民にとっては、とてもショッキングな出来事です。

捜査の対象になった人は、私の友人でして、すぐに僕の携帯を鳴らし、私も的確なアドバイスをすることが出来ましたし、友人には、警察を前に毅然とした態度で対応するだけの度胸と胆力がありました。この初動の対応が今回の不起訴処分に繋がっていますが、誰でもこのような対応が出来る訳ではありません。

著作権法の持つ、凶暴な一面を思い知らされた事件でした。このことは、今後、法改正の議論に際し、忘れてはならないと思います。

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【松本零士vs槇原敬之】松本Vs槇原が全面対決!「盗作訴訟」第1回口頭弁論

松本Vs槇原が全面対決!「盗作訴訟」第1回口頭弁論

3月29日8時2分配信 サンケイスポーツ

 シンガー・ソングライター、槇原敬之(37)に漫画家、松本零士氏(69)が「『銀河鉄道999』のセリフを無断で歌詞に使用された」と抗議している問題で、槇原が松本氏に盗作の根拠となる証拠提出などを求めた民事訴訟の第1回口頭弁論が28日、東京地裁で開かれた。

 槇原側は「盗作の証拠がないのに、(雑誌のインタビューなどで)盗作だと決めつけて大々的に宣伝したことは名誉棄損にあたる」と主張。盗作でないと認められた場合、2200万円の損害賠償を請求している。これに対し松本氏側は「和解するつもりはありません」と全面的に争う姿勢を見せた。

 弁論終了後、槇原の所属事務所はサンケイスポーツの取材に「提訴前に松本さんから和解話が2度ほどあった。証拠さえ出してもらえれば、はっきり答えが出ると思う」。松本氏は「ぼくが先に(セリフを)書いたことは間違いない。これは全作家のプライドにかかわる問題」と双方、自信を示した。

 次回の口頭弁論は5月14日に行われる予定。
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傍聴に行きたかったのですが、行けませんでした。

槇原敬之氏側の損害賠償請求の根拠が名誉毀損であることが明らかになりました。

松本零士氏が「『銀河鉄道999』のセリフを無断で歌詞に使用された」などと公表したことは、槇原敬之氏の社会的な評価を低下させるものであり、名誉毀損に該当すると思います。

そうすると、被告である松本零士氏側としては、名誉毀損についての免責事由を立証しないと敗訴することになります。

この場合、以下の3点について、松本零士氏側が立証しないと敗訴することになります。
1)「公共の利害に関する事実」であること=「公共性」
2)「公益を図る目的」の存在=「公益性」
3)表現行為が真実であること=「真実性」
    or
  真実ではないが、相当の根拠をもって真実であると信じたこと=「相当性」

1)「公共性」については、槇原敬之氏という著名な歌手の盗作疑惑がテーマとなっていますから、この要件については認められるでしょう。

2)「公益性」の要件についても、認められる可能性は高いと思います。
  ただし、3)の「真実性」あるいは「相当性」の要件が認められなかった場合、「公益性」の要件が否定される可能性もあります。というのは、どうやら、裁判所には「公益目的をもって表現をする者は、慎重に下調べをする筈」という経験則が存在するようで、「真実性」は勿論、「相当性」すら認められなかった場合においても、表現の根拠となった資料の程度を検討し、余りにも根拠が薄い場合などには、「公益性」すら否定されてしまう場合が見られます。

3)問題は「真実性」と「相当性」です。
  まず、本件においては、どの範囲で松本零士氏側が「真実性」、「相当性」を立証しなくてはならないか、そのものが争われると思います。
  松本零士氏が、単に、「『銀河鉄道999』のセリフを無断で歌詞に使用された」と表明しただけであれば、「真実性」、「相当性」の立証範囲は、「『銀河鉄道999』の台詞を無断で使用したかどうか」が「真実性」、「相当性」の立証対象になったかも知れませんが、松本零士氏側は、「現段階では、著作権侵害をめぐる訴訟やCM曲使用差し止めなどを求めるつもりはなく、詞の「出典」を明示することなどを求めている。」(日刊スポーツ 2006年10月19日)とまで言っているようで、こうなると、「真実性」、「相当性」の立証の対象は著作権侵害の有無ということになるのではないかと思います。
  そうすると、仮に、松本零士氏が「ぼくが先に(セリフを)書いたことは間違いない。これは全作家のプライドにかかわる問題」と言うとおりだったとしても、これだけでは、著作権侵害を裏付ける根拠にはなりませんから、訴訟においては、敗訴する可能性が高いといわざるを得ません。
  何故ならば、松本零士氏の主張はあくまでも②依拠性の要件に関するものであり、①類似性の判断について、影響するものではないからです。
  ただ、「真実性」が認められなかったとしても、「相当性」の要件が認められる可能性はあります(要するに、「著作権侵害と信じたのも無理はない」という判断)。

なお、①類似性 ②依拠性の関係については、下記の過去ログを参照のこと
↓  ↓  ↓  ↓
【松本零士vs槇原敬之】槙原「証拠出せ」松本零士氏訴える

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【松本零士vs槇原敬之】槙原「証拠出せ」松本零士氏訴える

槙原「証拠出せ」松本零士氏訴える

3月23日9時56分配信 日刊スポーツ

シンガー・ソングライター槙原敬之(37)が「『銀河鉄道999』のセリフを無断で使用された」と槙原を非難した漫画家松本零士氏(69)に対し、盗作の証拠提出を求める訴えを東京地裁に起こしていることが22日、分かった。証拠がない場合、2200万円の損害賠償も求めており、第1回口頭弁論が今月末に予定されている。
 槙原と松本氏の盗作問題が、法廷闘争に持ち込まれた。槙原はこのほど、松本氏に盗作した証拠の提出を求める「著作権侵害不存在確認等請求」の訴えを東京地裁に提出した。証拠が示されなかった場合、仕事上のダメージを受けたとして、2200万円の損害賠償を求めるとしている。来週、第1回口頭弁論が予定されている。槙原の所属事務所は「代理人に任せているのでコメントできない」と話している。
 盗作騒動が起こったのは昨年秋。松本氏が、槙原作詞・作曲の曲「約束の場所」(歌はケミストリー)の歌詞の一部が「『銀河鉄道999』のセリフの無断使用」として、槙原に謝罪を求めたことから始まった。問題の歌詞は「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」。松本氏は「銀河鉄道-」の「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」のセリフを盗作したとマスコミに対して主張した。「ここ10年、私の講演テーマとして何度も若者に語りかけた言葉」として、槙原がセリフを知らないはずがないとした。
 これに対し、槙原は盗作を完全否定した。自分の公式ホームページで「『銀河鉄道-』を個人的な好みから1度も読んだことがない。盗作の汚名を着せられた」と訴えた。騒動でCM放送休止のダメージも受け、逆に松本氏に「謝ってほしい」とした。
 当初、双方とも法廷闘争に持ち込む意思は示さず、収束したとみられていた。しかし、槙原側はシンガーソングライターにとって最も屈辱的な「盗作者」とされたまま、活動を続けるのに納得できなかったようだ。昨秋から平行線だった両者の言い分は、司法の判断に委ねられた。
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まあ、安易に人のことを盗作者呼ばわりすると訴えられるということですかね。
損害賠償を2200万円と構成した根拠は不明ですが、名誉毀損か業務妨害というところでしょうか。
ところで、日刊スポーツの記事は、何故、「槙原敬之」は呼び捨てで、「松本零士」には、「氏」をつけるのでしょうか?記者には、松本零士氏が被害者であるという立場があるのかな、と思ってしまう扱いの差でした。ひょっとすると、僕の知らないメディアの慣行があるのかも知れませんが。

それは、さておき、

【松本零士vs槇原敬之】槇原敬之に「999」盗作騒動

にも書きましたが、結論から言うと、「盗作」(著作権侵害の意味で使っています)にはあたらないと思います。
松本零士氏側の分が悪いでしょう。

槙原敬之氏側も、松本零士氏側は、「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」というフレーズを知っていたか、知らなかったかという点について、非常にこだわりをお持ちのようです。ご両名がクリエイターであることを考えれば、当然といえば、当然なのですが、裁判という場において主要な論点となるのは、

①類似性
②依拠性
の2点のうち、①類似性の部分です。①類似性の要件が満たされない以上、②依拠性について論じる意味は、少なくとも著作権侵害の有無を検討する上では、ありません。

ちなみに、②の依拠性というのは、表現そのものに対する依拠であって、アイデアに対する依拠ではありません。
槙原敬之氏にとっては不本意かもしれませんが、「松本零士の作品からアイデアのインスピレーションを得たが、表現としては別物であるから、著作権侵害は存在しない」という判断が下されて勝訴することも理論的にはありえるのです。


(参考過去ログ)
著作権侵害の判断に関する私の見解が述べられています。

【平成の表現狩り】検証サイト問題
【続】【平成の表現狩り】検証サイト問題
【続々】【平成の表現狩り】検証サイト問題

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【松本零士vs槇原敬之】槇原敬之に「999」盗作騒動

槇原敬之に「999」盗作騒動

 漫画家の松本零士氏(68)が代表作「銀河鉄道999」のフレーズを盗作されたとして、歌手の槇原敬之(37)に抗議していると、19日発売の「女性セブン」が報じており、松本氏はスポニチの取材に「私の言葉を奪われた。どうしてごめんと言えないのか」と怒りが収まらない様子。槇原側も「盗作呼ばわりされて嫌な気分。法廷で争ってもいい」と不快感をあらわにし、全面対決の様相だ。

 問題となっているのは槇原の作詞作曲で人気デュオ「CHEMISTRY」が今月4日に発売した新曲「約束の場所」。スープのCMソングとしてお茶の間にも流れ、オリコンチャート4位に入るなどヒット中だ。

 松本氏が「盗作」と断じているのは、「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」――というサビの部分。これが「銀河鉄道999」(小学館刊)の第21巻に登場する「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」というフレーズに「そっくりだ」と主張している。

 これは主人公の星野鉄郎のセリフとして使われるだけでなく、作品全体のテーマにもなっている言葉。松本氏は「私のスローガンのような言葉。これを題目に講演会などで若者にエールを送っており、ファンにはなじみ深い。彼が知らないわけがなく、勝手に使うのは盗作」として抗議した。

 両者の話し合いが持たれたのは先週末。松本氏によれば、電話で2度話したところ「当初は“知らない”と言っていたが、2度目は“どこかで聞いたものが記憶にすり込まれたのかも”とあいまいな説明に変わった」という。さらに、16日にレコード会社幹部が謝罪に訪れ「槇原本人が“記憶上のものを使用したかもしれない”と半ば認めたとの説明を受けた」と強調。「本人の口からきちんと謝ってほしい」と求めている。

 これに対し、槇原の所属事務所は「槇原が自分の言葉で作ったもの」と完全否定。「銀河…」を読んだことすらないとし「そこまで盗作呼ばわりされたら、先生の“銀河鉄道”というタイトル自体、先人が作った言葉ではないのかと言いたくなる」と不快感をあらわに。「ぜひ訴えていただいて…」とまで語り、法廷で争うことも辞さない構えだ。
(スポーツニッポン) - 10月19日12時28分更新
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結論から言うと、「盗作」(著作権侵害の意味で使っています)にはあたらないと思います。
記事を見る限りでは、松本零士先生側の分が悪いでしょう。

記者は、
>両者の話し合いが持たれたのは先週末。松本氏によれば、電話で2度話したところ「当初は“知らない”と言って
>いたが、2度目は“どこかで聞いたものが記憶にすり込まれたのかも”とあいまいな説明に変わった」という。さら
>に、16日にレコード会社幹部が謝罪に訪れ「槇原本人が“記憶上のものを使用したかもしれない”と半ば認めた
>との説明を受けた」と強調。「本人の口からきちんと謝ってほしい」と求めている。

経緯に注目しているようですが、あまり本質的な問題ではありません。

著作権侵害の要件は、大まかに纏めれば
①類似性
②依拠性
の2点と言うことになりますが、①類似性の要件が満たされない以上、②依拠性について論じる意味はないからです。

類似性の要件が満たされていると言えるには、単に比較対象となる表現が一見して「似ている」だけでは駄目で、著作物中の創作性のある箇所が再生されていることが必要です。例えば、アイデアが似ているとか、未だ、創作性があるとは認められない表現が類似しているというだけでは、類似性の要件は充足されないのです。

今回の場合、銀河鉄道999の「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」というフレーズそれ自体を見た場合、このフレーズに著作物性が認められるかどうか自体が微妙なところですが、仮に認められたとしても、創作性が認められる箇所は、「時間は夢を裏切らない」という文節を受けて、「夢も時間を裏切ってはならない」という価値観を命令形で言明している点にあるのではないかと思います。

これに対して、槙原敬之氏の歌詞は、「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」というものです。
「時間も夢を決して裏切らない」というのは、事実の言明を取っています。また、裏切りの主体も、銀河鉄道999のフレーズとは違い、「夢」ではなく、「時間」です。さらに、「決して」という銀河鉄道999のフレーズにはない言葉が挿入され、事実の言明が強調されています。

要するに、
銀河鉄道999のフレーズ=should ないし sollen
槙原敬之氏の歌詞  =is ないし sein +裏切りの主体も違う+「決して」という断定的な強調+語順も違う
であり、両者は表現としては全く異なるものであるというのが、私の見解です。

ちなみに、両者の出典は、
松本零士先生側=「心の旅人」(銀河鉄道999 21 第21巻 小学館) 
槙原敬之氏側=「約束の場所

ですが、作品それ自体のテーマも問題のフレーズが出てくる文脈も全く異なるんですね。実際に読み比べて見るとよくわかります。


なお、本件のような短いフレーズが問題になる事案については、参考になる裁判例が存在します。

東京地方裁判所平成13年5月30日判決(いわゆる「チャイルドシート事件判決」です。)

この判決では、
「ママの胸より チャイルドシート」という表現が
「ボク安心 ママの膝(ひざ)より チャイルドシート」という表現の著作権を侵害するかどうかが争われた事案について、著作権侵害は存在しないと言う判断が示されています。

(参考過去ログ)
今回は検証サイトが問題になっている訳ではありませんが、著作権侵害の判断に関する私の見解が述べられています。

【平成の表現狩り】検証サイト問題
【続】【平成の表現狩り】検証サイト問題
【続々】【平成の表現狩り】検証サイト問題

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【宣伝】【平成の表現狩り】検証サイト問題

「パクリ・盗作」スキャンダル読本 別冊宝島 1257に今回の検証サイト問題に関する私のインタビューが掲載されています。

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以上、宣伝のみ。

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【続々】【平成の表現狩り】検証サイト問題

今回の絶版騒動のきっかけになった、

飛鳥部勝則氏「誰のための綾織」における、三原順氏「はみだしっ子」との類似点比較

の問題点は、「誰のための綾織」と「はみだしっ子」の間の表現が同一あるいは類似しているかどうかを比較するにとどまり、同一あるいは類似している箇所について「はみだしっ子」の表現の創作性(思想感情が個性的に表現されているか?)について見当をしていない点です。

「はみだしっ子」の表現に創作性がないというと、ファンの方は怒るかもしれませんが、作品全体として創作性が認められる場合でも、作品を構成する個々の文章を見た場合には創作性が認められないということはよくあります。
このことは、著作権法のイロハに属することです。

著作権法の教科書的に取り上げられる典型的な事例としては、川端康成の「雪国」の有名な冒頭文、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」を挙げることが出来ます。この文章には創作性が認められません。何故ならば、この文章は、「国境の長いトンネルを出たら雪国であった」というアイデアが与えられていた場合、これを文章化するまえの表現としては誰でも思いつく平凡あるいはありふれた表現だからです。創作性を認めるということは、後の人が同一の表現を自由に使用できなくなることを意味し、我々の表現活動の幅を著しく狭めてしまいます。安易に創作性を認めることが出来ないのは当然です。
したがって、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」というフレーズを無断で使用しても何の問題もない訳ですが、このことは、「雪国」という小説に創作性が認められないということを意味しません。

以上を前提に、

飛鳥部勝則氏「誰のための綾織」における、三原順氏「はみだしっ子」との類似点比較

において問題とされている表現について、「お葬式と喜劇」を例にとって検討してみると、「同一部分」とされている表現を見ると、

「大人達は」「葬式の準備に忙しくて」「連れ出し」「とても楽し」「最後はハッピーエンド」「気分のまま」「人々の顔色にも気づかず」

などなど、いずれも日常的に使われている極々ありふれた言葉であり、とても創作性があると認めることは出来ませんし、「類似部分」と称する箇所を見ても、

「誰かがボクを芝居に」「観劇は初めての事だった」「面しろくて」「笑って」「おじいちゃんの家へ戻ったんだ」「おばあちゃんがボクに」

などなど、やはり、いずれも日常的に使われている極々ありふれた言葉であり、とても創作性があると認めることは出来ません。

結論から言うと、どうみても、「場面によっては、プロット、文体が似ているところもある」という以上の類似点を見出すことは出来ませんし、当然、著作権上も何ら問題はありません。この程度の類似を問題にするのであれば、この世に存在するありとあらゆる作品は、先行する作品の「パクリ」ないし「盗作」と言わざるを得なくなるのではないでしょうか。

飛鳥部勝則氏「誰のための綾織」における、三原順氏「はみだしっ子」との類似点比較

というサイトは、著作権、表現行為ということについて十分に調べることなく、飛鳥部勝則さんの著作について「パクリ」と決め付けた上で、「誰のための綾織」という作品について絶版・回収騒ぎを引き起こし、世間の人々が「誰のための綾織」という作品を読む機会を奪うきっかけになったのですから、その姿勢と責任が厳しく非難されるのは当然であると思います。

註① 私は「はみだしっ子」という作品を「まんだらけ」にて購入して読んでいます。

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【続】【平成の表現狩り】検証サイト問題

検証サイト問題を考えるに際しての私の立場

① 作品について検証し、公表する行為自体は表現の自由により保障される表現活動です。
   山口貴士は検証行為そのものを否定する立場ではありません
   しかしながら、検証行為を行う以上、表現行為そのもの、並びに、著作権に関する十分な知識が必要です。
   表現の自由は最大限度に尊重されるべきですが、それでも、作家の名誉権や出版の自由に影響を及ぼしかねない以上、表現の自由 vs 名誉権  表現の自由 vs 出版の自由 などの場面において、表現の自由と対立する権利の間の調整が必要なことも当然です。不十分な根拠と知識に基づいて検証を行い、ある作品を「パクリ」、「盗作」呼ばわりし、その結果として、重大な損害を及ぼした場合には、名誉毀損行為あるいは業務妨害行為としてその責任を問われることは当然です
これに対し、例えば、実在の児童を被写体としない「児童ポルノ」の場合には、「絵」を規制することと児童の人権という対立する権利を保護することとの間に、そもそも、結びつきがなく、規制自体が不合理と言わざるを得ません。
   実際に、「被害者」が発生しうる検証サイトの場合、無制限な検証行為が認められるということは出来ないと思います。

② 憲法が表現の自由を保障している以上、発表された表現物は誰でも自由に利用してもよいのが法の大原則です。著作権はあくまでも例外的な制約事由にしか過ぎず、著作権に抵触しないよう先人の著作を利用する行為は原則的に法的な問題はないものと考えます。
  例えば、アイデアの利用です。アイデアは著作権法では保護されませんので、他人のアイデアを使用することは自由です。アイデアまで保護してしまうと、表現の自由に対する過度の制約になりかねないので、著作権法はアイデアを保護の対象から外しています。他に、著作権上保護されないものとしては、「文体」があげられます。

③ 表現の歴史は「パクリ」、すなわち、模倣や真似に代表される先人の作品の利用の歴史であることを忘れてはならないし、先人や先人の作品から影響を受けない表現者は存在しないということを踏まえた議論がなされるべきです。「俺のアイデア!」、「大好きな**先生の作品!」に代表される表現者あるいはファンの既得権意識ないし独占意識は自由な表現活動を阻害すると考えます。
  したがって、著作権に抵触しない形で先人の著作をうまく利用するのは、表現者の「技」であり、原則的に、倫理的、道徳的にも問題はないというべきであり、著作権を侵害しない作品について「パクリ」、「盗作」呼ばわりする姿勢には疑問を感じます。

④ 模倣行為や真似などの著作物の利用行為に対する姿勢は表現者ごとに異なります。基本的には、表現者本人の姿勢を尊重すべきであると考えます。
 
以上が山口の基本的なスタンスです。

【続々】【平成の表現狩り】検証サイト問題 を鋭意準備中です。今しばらくお待ち下さい。

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【平成の表現狩り】検証サイト問題

<原書房>漫画と類似表現、小説絶版に

 原書房(本社・東京都新宿区)が今年出版した飛鳥部勝則さんの小説「誰のための綾織(あやおり)」の中に、三原順さんの漫画「はみだしっ子」(白泉社)と類似した表現が複数個所あり、「誰のための綾織」の絶版と在庫の回収を決めたことが、8日わかった。同社がホームページに報告とおわびを掲載した。類似個所は十数カ所あるという。
 同社に9月、「類似した表現がみられる」と匿名のメールが寄せられ、調査していた。飛鳥部さんは「膨大な素材カードの一部に問題の表現とおぼしき文章が紛れた」とホームページでコメントし、陳謝している。(毎日新聞-
11月8日19時37分更新)

今回の絶版騒動のきっかけになった、
飛鳥部勝則氏「誰のための綾織」における、三原順氏「はみだしっ子」との類似点比較
をざっと見ました。
随分と偉そうに「amazon等ではまだ扱っているようですし、出庫済のものについては影響の及ばない処置ということで若干思うところもありますが、きちんと問題に対して判断を下し、出版社としての姿勢を示された原書房、また読者の声に耳を傾けてくださった担当者様に、問い合わせさせていただいた一人として心より感謝申し上げます。ありがとうございました。」と書いてはいますが、私が見たところ、特に著作権的に見て問題となるような類似性があるとは思えませんし、このサイトのように、表現をどんどんブツ切りにしていけば、類似の表現は幾らでも見つけることが出来るのではないでしょうか?

このサイトの作者が何をしたいのかよく分かりませんが、自らの行為が表現行為を萎縮させ、表現文化の圧殺の一端を担っているということはよく自覚して頂きたいと思いますし、サイトの作者には、「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉を捧げておきます。

創作行為と先人の著作物の利用については、私が以前所属していた虎ノ門総合法律事務所の所長である北村行夫弁護士の言葉が正鵠を射ていると思いますので、紹介をさせて頂きます。

 人間は、過去からのみ学びます。目の前にある現実もまたこの蓄積です。創作行為においても、他人の著作物を含む、既存のさまざまな情報を一端頭の中に取り入れ、さまざまな形で多かれ少なかれその影響を受けながら、新たなものを生み出している、これが人間の日常的な知的活動のあり方だという事実です。・・・(中略)・・・そうではなく、創作というのは、自分を取り巻く自然やその他の外界のものを五感を通して自己の内に取り入れ、自分の主体性によって消化することを不可欠にしているということです。・・・(中略)・・・他人の著作物も、また、そのような情報の一つとして客観的に存在しています。そのような先人の労苦を、自己の持つ感情や思想に照らしながら、あるいは肯定的に、あるいは否定的に、自己の主体性というフィルターにかけて承継することを本質として創作が行われているということです。著作権制度の根本にある創作というものは、決して無から有を生むことを意味しているのではないことをいま一度思い起こしておくべきだと思うのです。「クリエイター・編集者のための引用ハンドブック」(太田出版)より

追記①憲法21条が表現の自由を保障している以上、「原則は自由」です。著作権法その他の法令に違反しない限りは、創作活動に制約を加えるべきではないというのが私の立場です。
    出版社や作者もこのような検証サイトに安易に屈するのではなく、はっきりと、言い分を主張して欲しかったと思います。

追記②「※当ページは報道・批評・研究目的の引用を保護する著作権法第32条に基づき、上記の比較・検証のために必要な部分の引用を行うものであり、関係各位の著作権を侵害するものではありません。」
とありますが、一般的に十分な根拠と正確な法律知識に基づかない、検証サイトの開設行為は、作者ないし出版社に対する名誉毀損ないし業務妨害行為になりうることもまた、知っておいて欲しいと思います。

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